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疑問の勉強

興味と関心を持ったこと、どんなことでも調べてみる、または書いておくための自分用のブログ

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何を目指しているのだ

新年になってもう10日も過ぎてしまった。いつも通り年賀状のやり取りがあったり、新年になってからあった人たちとは「あけましておめでとうございます」とかって挨拶をしたのだが、なかなかおめでたいという気持ちにはなれなくて、これからどうなっていくんだろうという心配の方が大きい。
それもこれも今の政府のやり方というものにどうにも我慢がならないからだ。何もかも一般国民にはそれとわからないように取り繕ったり美言でごまかしたりするのだが、戦前回帰を目指しているのだとしか思えないことばっかりやっているからだ。そして、何でか全く分からないがマスコミはそれを応援している。そういう風にすることでいったいどういう利益があるというのだろう。恐らくその利益というのは一般国民にとって利益となることではなく、彼ら日本を仕切っていると信じている者たちにとっての利益なんだろうが、それはいったい何なのか。
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お掃除って

特に悩んでいたりして大きな問題がある時など、小さな事でいいから今できることを一生懸命やっていると何となく道が開けてきたりする、という様な感じの言葉がある。今は個人的な悩みとかはあんまりないんだけども、できそうな小さな事を見つけてそれなりに一生懸命やっていくことは良い事なんだろう。
だけど何ができるのかな。掃除かな。引き出しの片づけかな。

掃除は、確かにやってみると意外に気持がさっぱりしたりするし、周りもきれいになるし、良いことが多いのかも。いつも散らかってる所は何で散らかるのか、どうすれば散らかりにくくなるのか、自分の家のことなんだからよく考えればいい知恵が出て本当にすごく使いやすくてきれいで掃除もそんなに手間取らなくてすむ、なんてことができるのかも。

考えてみれば掃除・片付けは買い物に行ったりするのとは行動のベクトルが逆の様な気がする。作ったり買い物に行ったりするのは何となくわくわくというかおもしろい感じがあるのに対して、掃除とかをするのはわくわく感ではないからね。でも、掃除したらスッキリして気持も落ち着く。次のための準備という感じもある。
どっちかというとわくわくする方が好きだけど、スッキリと気持が落ち着くようにもしたい。
自分の本当に身近なもの、やれるのは自分自身。やってみよう。

年末だが

年賀状はもう出してしまったけど、今年は新年おめでとうとかって書くのがなんか嫌だったなあ。来年も良い年になりますように、とかっていうのが今までの決まり文句だったのだが、今年は良い年ではなかったから来年もとかって書く気にはならないし、年が新たになったという事で希望が増えるわけでもないし。
いつもの年通りにいろいろなことをやるというのに意味があるのかなあ、なんて思ってしまったりfするが、それでも時間が前に進んでいくという事だけは変わらない。

今の日本の状態って、前に日本がやった戦争とその結果とその後の日本の歴史っていうのをちゃんと知らないというのが大きく関係しているんだと思うけど、そんなことはないだろうか。前は身近な人からも戦争の時の話とか聞いたのに今ではそれも難しくなってるのかもしれない。
しかし、戦争をするのは避けねばらなない。それは日本の国益ではない。

戦争嫌だ

新聞の投書欄を見れば、秘密保全法とかデモへの圧力発言とかに対しての反対意見とか、戦争を嫌だという意見とかが多い。沢山の人が戦前の治安維持法とか軍機法とかに対する心配と怖れを持っているのだ。それに対してこれが日本を平和にするための法律なのに、とかって言っている人もいるのだが、実際はどのように遷移していくだろうか。やっぱり力を持っている側が都合の悪いものを隠し、反対意見を潰していこうとする力の方が強くなっていくだろうというのが多くの庶民の考えている事である。

こんな庶民から見たらとんでもないと思われるようなものがものすごい速さで法律になった原因は一つにはアメリカから作れと言われているからだ、というのをよく見るわけだが、それにしたって中味の中にその他として沢山の物が含まれるようにできていたり、文書を廃棄したりできたり、人権を無視したような事ができるようにしているのが何で出てくるのだ。本当に嫌だ。

戦争をしたいという人達はいったいどのような将来を考えているのだろう。アメリカ軍と一緒に行動しなければならないのにそれができないから、というのでそっちの方をどんどんできるようにしているのか。そうだとしても国が明るく発展していくための産業とかができていくようにも思えず、何を持って人々を養おうとしているのかがさっぱりわからない。

今は本当に大事な時だろう。世界的に見ても行き詰まり感が結構あるけど、そこで変な方向に行こうとしてる日本。何とかしてよ。先行きの明るさがちっともないんだよ。

何もかも霧の中

原発の事故が起きた後すっかり生活を壊されている人とか精神面でも健康面でも不調の人とか結構いるというのに、経産省は原発をまたエネルギー政策の基本の中に入れてしまった。福島第一の排気塔のそばで25シーベルトという20分くらいで死んでしまうような放射能が測定されたっていうのに。汚染水も全くコントロールされてないことは明らかで、首相の言っていることとは完全に逆である。

こんな時に秘密保護法は国会を通ってしまって、法案成立。国防や外交やらが大事だから何もかも全部秘密にします、ちょっと漏らしたり知ろうと思ったりするやつなんか許せないから厳罰。この様になるのである。

今までも国民は大事なことはあまり知らされず、テレビやなんかを見て雰囲気でこの人良さそう、こっちは感じ悪い、この人頼れそうなんていう感覚的なものしか与えられていない。人格攻撃とかはすっごく大きく報道されたりもするが、法案の中身とかこんな内容で争っているんだとかというのはあんまり伝えられていないんである。政局の見通しは話されたりする。政治の中味のことについてはあんまり教えてくれなかった。結局どっちにつくかが大事なことであり、どうやって騙して自分の思うように運んでいくかが大事なことなんだと教えている。

そういう風に、大事なことは一般国民には知らせず、できるだけわからないようにしてただ従っておれ、というやり方が常にとられているのだ。そして政治家たちは政党の中でも党議拘束とかというのに縛られて自分自身の意見が持てないようになっているらしい。いろんな風に縛られて自由な意見が言えないのは一般国民も政治家たちも同じなのだろうか。だけど、普通の間隔と乖離してるなー。

そりゃあ、国にとって大事なことですぐには言えないことを知るということもあるだろうけど、そういうのはできるだけ少なくしてオープンにして何でそういうふうな政策を取らないといけないのかとかということをもう少し明らかにしてくれれば、そうなのか、それは仕方ない、っていう風にも思えるのかもしれないが、今は何でそんなことを言うのかわからないことばかり。あまりにも人を信じていないやり方であり、全ての方向に敵を作ろうとしているのである。原発の事だって、事実は変に隠そうとせず出してくれた方がはるかに私たちにも色々なことがわかり、皆で同じ問題を解いていく事ができるんである。それなのに何から何まで隠そうとしてこんなにも恐ろしい法律を作ってしまった。

第二次世界大戦での敗戦のあと、与えられたものではあるが皆に基本的人権があることが理解され、保障されてきたというのが、多くの人の理解だ。戦争による犠牲の後で得られたものがそれなのだから。なのに、そういうものを忘れろと言うのか。戦争に導くのでなく戦争から離れるように導く事ができるはずなのだろうに。

工夫すればいいんだけど・・・

すっかり寒くなって、ひ弱な自分は暖房なしでは暮らせなくなっている。すごく節約して光熱費を少なくしている人もいるのだが、寒いのを我慢できないのでとっても暖かくしてしまってる。こういうところである程度の工夫というか何というか、すればいいんだろうけどねえ。冬季になるとうちの電気代はグンと上がるのだ。それは暖房のせい。電気をあまり使わずに暮らすという態度は今はとても大切なことだと思うのだが、実際にはなかなか実行できない。他のことでも見直せることが多々あるんだろうけど、なかなかぬくぬくの所から出るのは難しいわけ。

持ちがいいんだって


庭にはついに今日雪が降ったが、昨日まではパセリはまだ元気な様子だった。
2週間くらい前にそのパセリをあげた人から、「まだあのパセリ、ピンピンしてる。すごく持ちがいいよ。」と言われた。一応、無農薬有機栽培だからね。きっと、元気が良いのでしょう。

とはいえ、自宅の庭でもマーガレットの奇形花が咲いたのであって、パセリは大丈夫とは言い切れないのだが。日本に本当に安全な食べ物はあるのか、一つ一つちゃんと量って売るとかしてくれればよいものを、全部基準値以下だから安全ですとかと言って安心して食べようとしない人々を責めたりする、こんな行政の態度とか我慢できるわけがないではないか。
恐らく大丈夫であろうと思う以外に思い方ができないわけで、非常におかしな所に国民を追いこんでいるのだ。
何がヒミツ保全だ。好きなようにできないところには情報隠しというやり方で臨むのか。

まるで猿山

日本は女性が非常に軽く見られている国だという。確かに、今の政治なんかも猿山の大将たちがやっているという感じだもんな。もちろん例外はあるとは思うけど、組織的にそうなっているんだから全体としてみれば女性の力を社会の主流になる部分で生かしてはいないのだろう。
どこの国だってそんなに違うもんじゃないのにねえ、人間の持っている力って。

家の中の力関係ってのは決してそういうもんではなくて、奥さんの方が強い家は多いんだろうけども。
今の政治状況では、女性の意見とかがいかされているとは到底思えないね。戦争したい国になんかならなくていいい。言葉だけの美しさで騙すな。秘密だって、できるだけない方がいいに決まってる。見えないところで勝手にやろうとしてるのが明らかなのに、なんでそんな方向についていかなくてはならないのだ。
やっぱり、権力の持ち方間違ってしまってるよ。

詭弁誘導もう結構

一生懸命やれば報われる、というのが今までの人間社会の教えではないか。それなのに。もっとも、そうでもなかったのかもしれないが、今は色んな物が露骨に馬脚を表してきている。
裏に隠れた意図というものを常に考えながら本当に言いたいことは言わず、思う方向へ持って行こう持って行こうとしている社会である。ニュースにしても何にしても、報道されていることは実際に起きたことかもしれないが、報道されていないことが山のようにある。何を出すかを選んでいる人が最も権力を持っているということになる。
いつも思っていることだが、戦争のために多くの人が不幸になったというのが本当の事実でありそのことは認められてはいるが、戦争で亡くなった人たちを美化することにより、戦争そのものへの反省というのはろくに行われては来なかった。(国とか権力者とかから)亡くなった一人一人の兵隊さんや国民はともかく一生懸命生きて自分の果たすべきことを果たそうとした。そういう個人レベルの努力というのはとても美しいのだ。
しかし、その人たちを美化することにより、戦争そのものに対して反対する人達を抑えようとする力が何時も働いている。あの聖霊たちの努力を無駄にしてはいけない。そういうと戦争そのものを批判することができなくなる。そんなことがあるわけがない。戦争そのものがなければもっと違う人生をそれこそ一生懸命生きることができた人が大勢いたはずであり、違う力の発揮の仕方があったはずなのである。国というもののために個人の全てを捧げるのが良いのであるというのは一人一人の人間を大事にする考え方ではないのである。
とはいえ、人々が全体として皆それが良いのだという価値観を持ってしまえば、戦うことが良しとされる考えから逸脱することは許されなくなる。

何を一生懸命やるべきか、どのような価値観を持つべきなのか、そういうことがもっと問われても良いのではないのか。個人個人の価値を生かす道は多種多様にあり、戦争という風なことを最も大事な価値として持つ社会にはなってもらいたくない、そんな風には絶対なるな、と思う。

今、何故か知らないが第二次世界大戦以前の日本の様な状況に戻したくて戻したくてたまらない勢力というのが日本の本流みたいになってきているのだが、そんなの絶対嫌だからね。何で今更戻す必要があるのか全くわからない。自分はそんな価値観を持つことはできない。


眠い

眠いのを我慢するのって、本当に辛いもんだ。毎晩夕食を食べてどうにか片付けをして椅子に座ると眠くなる。しかし、椅子の上でよく寝られても短時間でちゃんとした睡眠にならないから
それは居眠りである。その居眠りの時間が過ぎると自分の場合は、ちょっと元気になってもう眠くなくなる。その後が結構長い。何をしたのかよくわからないが、ともかく結構遅くまで起きてしまう。もっと早いうちに
いろいろやってないといけないよなー、と思うんだけど、後の祭りになってしまう。結局朝の寝起きの悪さと体の硬さにつながるんだよねー、わかっているけど。一度ちゃんとリセットした方がいいよねー。

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