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疑問の勉強

興味と関心を持ったこと、どんなことでも調べてみる、または書いておくための自分用のブログ

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量子力学と空

量子力学と「空」


この先生のYouTubeを見てたら自分の持つ各種疑問に答えてくれるように感じて、すごいなと思った。仏教、お釈迦さまは本当になんでも見通していたのか!
生と死、人の人生、意識はどうなっているのか、物質のエネルギーはどうやって相互に変化し合うのか、本当のところを知りたいものだ。
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量子・・・謎だ

「量子テレポーテーション」と「現代医学に残された七つの謎」という2冊のブルーバックスの本を買った。
量子の方はほとんどさっぱりわからないが・・・。しかし、量子力学というのが実際の物質の存在のあり方を説明しているものであって、現実のものなのだとすれば、世の中に起きていることはそれから説明されなければならないわけだ。ということはですよ、説明がつけられない謎というものは実はそこから解明されるべきものなのではないかと思うわけである。

ともかくも一応は読み通してみようとは思っている。理解できるかどうかは別として。

すべて主観でいいのか・・・

客観的なものの見方をするということが大事だとずっと思ってきたのだけれど、世の中はみんながそれぞれ自己中心的(すなわち主観的)に物事を考えることにより進んでいっている。というか、自分に関係ない物事は客観的に起きた事実として捉えることができると考えられはするが、実際にはすべて自分の体験から組み立てられている。

自分自身を客観的に外から見ることが自分にとっては必要なことだとずっと前から思ってきたのに、その方が自分を正確にとらえられると思ってきたのに、そういう見方や考え方をする人は非常に少ないのである。むしろあらゆることを主観的な視点から捉える方が積極的な生き方ができるかも。

ブライアン・グリーン

youtubeでブライアン・グリーンやドーキンスの講演や説明を見ることができる。
本を読んだだけでは良くわからない説明も、こんな風だと映像で見せてくれたりするのは非常にありがたいと思う。
科学的なことはあまり日常生活の中で話すことはできないのだが、グリーンさんは実に熱心に科学を皆のものにすることの必要性を説いていて、感心してしまった。

学校の勉強の中では説明についていってそういうもんだと思うように教えられていると思うのだが、それだとやっぱり面白くないと感じられてしまう。そこのところを何とか、自分自身で解明していくような感じで教えてもらえたら、どんなに興味深く思うだろう。

摩訶不思議

全くわからないことだらけ。
量子力学がものの存在とは結局幽霊みたいなもの、と言っているんだったら一体実在とはないかというのがやっぱり大きな疑問として浮かび上がってくるのだ。数式とか何かで一生懸命表現しようとしてきたのに結局元に戻っちゃったっていうか、解釈しだいでどうにでもなるということになるというか…。一生懸命今の瞬間を生きようとしている人間って結局何?ってことに…。

一つ一つの電子とか量子がいたるところにある存在だとしたら、そういうものの集積でできている自分という存在もいたるところにある存在っていうことになるのか?
今ここにいる意識というのがどこから来るか、ってことになるんではないでしょうかねえ。

ホログラフィック宇宙論

量子力学というのはこの前からずっと興味を持っている分野だからインターネットで調べてみると、随分いろいろな人が自分が読んだりして興味を持ったのと同じような本を読んでいるらしいということが分かる。ホログラフィック宇宙論というのは日系サイエンスとかにも取り上げられているらしい。
こういう説については、自分にはよく分からないのでそうかもしれないなあと思うのだが、何かの投影であるとしたら一体何がもとになっているんだろう。人間の意識とかそんなのも ???という感じで、クエスチョンだらけになってしまう。

ドーキンスのAtheism

ポドキャストでPoint of Inquiry というのを聞いていると、この人たちはAtheismを一生懸命世の中に訴えている人たちだということが分かる。その中でかなり強力にいろいろなことを主張しているのは、生物学者のドーキンスだ。
友の会はキリスト教だから、というか、もと子さんがキリストのみが私たちの先生です、とかと言ったりしているからどうしても神様というものが話の中に出てくる。そういう話がしょっちゅうあって著作集を読んでその感想とかを言い合ったりしてからこのポドキャストを聞くことである意味、自分の客観的宗教観というものが平衡状態を保っていられるのである。
ドーキンスが神は存在しないと言っているその言葉だけを聴いていたら信心深い人たちは本当に不遜な態度だと思うだろうが、彼は決して精神的なものを否定しているのではなく、万物の創造主としての神、突如として何もないところから何かを作り出すような神、そういうものを否定しているんである。チャリティなんかもやったりしていて、非常に客観的かつ科学的に物事を見て、しかも妥協せず正直な人なんだと感じる。
人間的価値というのはどっから生まれてくるんだろう。何かの宗教の信者であります、というのがその人間の価値を決めているということはない、というのが私のいろんな人たちを見ていての感想である。別に何教でも人間としての生きる道を探るということに変わりはないはずではないか。
もと子さん自身、宗教の押し付けは最も良くないことだといっているのだ。人に押し付けずに感銘させることができれば、その人はそっちの方にやってくるだろうというのが私の考えである。そういうことを何でわからないのかと思う人がいる。

“気”のこと

家事家計講習会が終わってもつけ方やらその後の12月の例会をどうするかなど、次から次へとやることが続いていく。その間パソコンはあまり触らないままになってしまった。忙しいとパソコンを見る暇もなくなってしまうなあ。目のためにもノートの方が良くてパソコンを夜やるのは寝られない原因になるなんていうことを書いてあるのも見かける。一度やりだすと止まらないから確かにあまり良くないのかも。もっと使い方を考えないといけないのである、多分。
そんな中でも今日は休みで、午前中は和商市場へ出かけた。井原と静岡へシシャモを送った。あまり良いのが取れなかったらしい。今年は豊漁になると言っていたのにな。
そして、コーチャンフォーへ。立ち読みをした本の中には“気”のことを詳しく説明した本があった。気はすでに存在が確認されているという。うまく活用されていないのは中世の頃の電気と同じようなもんだと言うのだ。確かにそうかも知れない。電気だって極めて不思議であるが、今では非常に活用されている。気の方は人間の体そのものと関係があるのだからもっと身近かもしれないが、確立されているとはいえない。自分にもちゃんと使いこなせたらいいのにな~と思った。

まとめるのは至難の技

毎日非常に忙しい。自分だけでじっくり考えた方がうまく行きそうなところもみんなでやることが大切だと言ってみんなでやるとちっとも進まない。劇のシナリオなんか書くのはきっとそういうことなんだろうなあと思う。いろいろな人の意見を入れてまとめるというのは本当に難しいものだ。しかも、それに手を入れて異論を唱えたりすれば物凄く気分を害されてしまう。一人でやった方がこんなの気が楽なんだよねえ。

でも、大勢の人が頭を寄せて考えたのだからそれにはそれなりの敬意を払わなければならないでしょう。言い過ぎたのであろうか。

意識はどこに?

昨日テレビが壊れたが、今日英語で読んだNDE(臨死体験)の記事には脳の機能は意識を作り出すというよりは、意識のある状態にチューニングして解読するのではないかというのがあって、これは興味深いことだと思った。最近考えるともなくこの問題を考えているが、DNAにしてもゲノムの解読にしても、蛋白質がどのようにできるのかを解明したとしても意識がどのようにしてできてくるかを説明することはできない。体と意識は別のものではないかという説が出てくるのもうなずけることではないか。NDEは意識が体を離れて自分自身を見るということなのだが、そういう経験をするのは確かに難しいことだし自分はこの体と一体と思うのが当たり前、脳がダメージを受ければ何も感じることができないわけで、意識もなくなるのであるから脳の中でどのようにしてこれが起きているのかを解釈使用という試みが出てくるわけだ。
自分は意識というか精神的存在というか、それが本当であってこの体を使ってこの世に生きている間何かをするのである、という考えの方が合理的なようにも思える。まあ、それが正しいといえるのかもしれない。

量子力学と相対性理論と、それを統一させる理論として出てきたひも理論。世界の成り立ち方の説明は昔からかなり変化してきたが、もう決定的になったと思われたことも結局は最終的に正しいことではない。しかし、より真実に近い物を求めて理論は進んで来ているし、それは数学的な計算に基づいている。少なくとも知らないよりは知った方が世界は広がるのである。

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