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疑問の勉強

興味と関心を持ったこと、どんなことでも調べてみる、または書いておくための自分用のブログ

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こんなの許されていいのか

安保法案の参議院の委員会での最後の様子を見ていたのだけれど、大勢委員長のまわりを囲んでブロックするみたいにしてて、言っていることなんか何も聞こえなかった。速記を止めていたのを復活したのかどうかもわからなかったし、ちゃんと決を取っている様子も見えなかった。あんなの、ただの力の誇示以外の何物でもないではないか。学校で授業が成立しなくて荒れてる時みたい。学級崩壊のように全く正常さを欠いている国会だった。力のあるものが本当に理不尽なことを一方的にするのが許されているのって、極めて不愉快だ。これで法案が成立したからと言って自分たちの好きなように物事を動かしていけると思っているのだろうな。それに対する国民の反対は、力に訴えないという立派なものではないか。このまま進んでいくのは絶対嫌だ。許されないし、従えない。
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何を目指しているのだ

新年になってもう10日も過ぎてしまった。いつも通り年賀状のやり取りがあったり、新年になってからあった人たちとは「あけましておめでとうございます」とかって挨拶をしたのだが、なかなかおめでたいという気持ちにはなれなくて、これからどうなっていくんだろうという心配の方が大きい。
それもこれも今の政府のやり方というものにどうにも我慢がならないからだ。何もかも一般国民にはそれとわからないように取り繕ったり美言でごまかしたりするのだが、戦前回帰を目指しているのだとしか思えないことばっかりやっているからだ。そして、何でか全く分からないがマスコミはそれを応援している。そういう風にすることでいったいどういう利益があるというのだろう。恐らくその利益というのは一般国民にとって利益となることではなく、彼ら日本を仕切っていると信じている者たちにとっての利益なんだろうが、それはいったい何なのか。

何もかも霧の中

原発の事故が起きた後すっかり生活を壊されている人とか精神面でも健康面でも不調の人とか結構いるというのに、経産省は原発をまたエネルギー政策の基本の中に入れてしまった。福島第一の排気塔のそばで25シーベルトという20分くらいで死んでしまうような放射能が測定されたっていうのに。汚染水も全くコントロールされてないことは明らかで、首相の言っていることとは完全に逆である。

こんな時に秘密保護法は国会を通ってしまって、法案成立。国防や外交やらが大事だから何もかも全部秘密にします、ちょっと漏らしたり知ろうと思ったりするやつなんか許せないから厳罰。この様になるのである。

今までも国民は大事なことはあまり知らされず、テレビやなんかを見て雰囲気でこの人良さそう、こっちは感じ悪い、この人頼れそうなんていう感覚的なものしか与えられていない。人格攻撃とかはすっごく大きく報道されたりもするが、法案の中身とかこんな内容で争っているんだとかというのはあんまり伝えられていないんである。政局の見通しは話されたりする。政治の中味のことについてはあんまり教えてくれなかった。結局どっちにつくかが大事なことであり、どうやって騙して自分の思うように運んでいくかが大事なことなんだと教えている。

そういう風に、大事なことは一般国民には知らせず、できるだけわからないようにしてただ従っておれ、というやり方が常にとられているのだ。そして政治家たちは政党の中でも党議拘束とかというのに縛られて自分自身の意見が持てないようになっているらしい。いろんな風に縛られて自由な意見が言えないのは一般国民も政治家たちも同じなのだろうか。だけど、普通の間隔と乖離してるなー。

そりゃあ、国にとって大事なことですぐには言えないことを知るということもあるだろうけど、そういうのはできるだけ少なくしてオープンにして何でそういうふうな政策を取らないといけないのかとかということをもう少し明らかにしてくれれば、そうなのか、それは仕方ない、っていう風にも思えるのかもしれないが、今は何でそんなことを言うのかわからないことばかり。あまりにも人を信じていないやり方であり、全ての方向に敵を作ろうとしているのである。原発の事だって、事実は変に隠そうとせず出してくれた方がはるかに私たちにも色々なことがわかり、皆で同じ問題を解いていく事ができるんである。それなのに何から何まで隠そうとしてこんなにも恐ろしい法律を作ってしまった。

第二次世界大戦での敗戦のあと、与えられたものではあるが皆に基本的人権があることが理解され、保障されてきたというのが、多くの人の理解だ。戦争による犠牲の後で得られたものがそれなのだから。なのに、そういうものを忘れろと言うのか。戦争に導くのでなく戦争から離れるように導く事ができるはずなのだろうに。

詭弁誘導もう結構

一生懸命やれば報われる、というのが今までの人間社会の教えではないか。それなのに。もっとも、そうでもなかったのかもしれないが、今は色んな物が露骨に馬脚を表してきている。
裏に隠れた意図というものを常に考えながら本当に言いたいことは言わず、思う方向へ持って行こう持って行こうとしている社会である。ニュースにしても何にしても、報道されていることは実際に起きたことかもしれないが、報道されていないことが山のようにある。何を出すかを選んでいる人が最も権力を持っているということになる。
いつも思っていることだが、戦争のために多くの人が不幸になったというのが本当の事実でありそのことは認められてはいるが、戦争で亡くなった人たちを美化することにより、戦争そのものへの反省というのはろくに行われては来なかった。(国とか権力者とかから)亡くなった一人一人の兵隊さんや国民はともかく一生懸命生きて自分の果たすべきことを果たそうとした。そういう個人レベルの努力というのはとても美しいのだ。
しかし、その人たちを美化することにより、戦争そのものに対して反対する人達を抑えようとする力が何時も働いている。あの聖霊たちの努力を無駄にしてはいけない。そういうと戦争そのものを批判することができなくなる。そんなことがあるわけがない。戦争そのものがなければもっと違う人生をそれこそ一生懸命生きることができた人が大勢いたはずであり、違う力の発揮の仕方があったはずなのである。国というもののために個人の全てを捧げるのが良いのであるというのは一人一人の人間を大事にする考え方ではないのである。
とはいえ、人々が全体として皆それが良いのだという価値観を持ってしまえば、戦うことが良しとされる考えから逸脱することは許されなくなる。

何を一生懸命やるべきか、どのような価値観を持つべきなのか、そういうことがもっと問われても良いのではないのか。個人個人の価値を生かす道は多種多様にあり、戦争という風なことを最も大事な価値として持つ社会にはなってもらいたくない、そんな風には絶対なるな、と思う。

今、何故か知らないが第二次世界大戦以前の日本の様な状況に戻したくて戻したくてたまらない勢力というのが日本の本流みたいになってきているのだが、そんなの絶対嫌だからね。何で今更戻す必要があるのか全くわからない。自分はそんな価値観を持つことはできない。


あきれ返る

昨日の選挙、あきれ返るほどの自民党の大勝利。公明、維新とかっていうのもたくさん議席を得て保守から右翼でほとんどの議席が占められてしまった。これは・・・かなりやばいのでは。もう戦前の大政翼賛会というのと大して変わらないかも。
それにしても驚くのは、得票率にしたらそんなにでもないのに議席数がすごいということだ。こんなのあり?いっそのこと全部の議席を政党ごとの得票率に比例させて決めてくれた方が納得できるくらいだ。それぞれの地域ごとに必要な人がいるんだから全くそういうわけにはいかないんだろうけど、あまりの差に本当にあきれ返る。
これで全面的に支持されました、って言って好き勝手なことをされてはたまらないなあという気がするんだけども。原発の事なんかも推進すると言っているし、非常に困るわけ。一つ一つの問題を皆でしっかり反対意見も聞きつつ討議して皆の考えを入れながらいろんなこと決めていってほしいと思うけどなあ。

原発再稼働決定でわかったこと

実際には安全対策が出来ていないということは大勢の人が指摘している通り、なのにそういう明らかに出来ていないと思われる事も出来ていると言い張って既に決定していた再稼働に向かう。どんな事があったとしても既に決定している事は変えられない、その方向で進めるのだ。
その背後には経済というものが非常に大きい。ただ、考える時に地元の意向とかというのがあるがそれは実際には違っていたとしても決められた方向を変える事はできないのだろう。地元の経済というよりは、大企業大銀行なんかの意向なんだろうなあ。
その一方で原子力発電の危険性というのはもうあまりにも明白になっている。しかし事実として出てきている物に対してはできる限り無視する、それが出来ないものは矮小化する。だから本当の所はどうなんだろうということがあまりはっきりわからない。そして今までやってきたという実績がある。福島第一では事故が起きたが、自分の所は多分大丈夫だろうと思うのである。
大企業とか国とかは事故が起きた場合の被害の大きさとかその深刻さとかを知っているくせに、当事者になる事は多分ないだろうとかというタカをくくっている。それが本当に悪かったのに。
日本が本当に地震国、火山国、そして津波にあってきた国であるということをしみれば原発なんか早く止めてくれというのが心底の叫びなんだが、どうしてそういうのを考えないのか、全く理解に苦しむ。
今回の場合だったら地元は少なくとも大事故が起きた場合の対処の仕方を完全に(今のところ考えられる最大という意味)考えて電気会社には設備をお金がかかってからやってもらうのがどう考えても当然のことである。早く動かしたいばかりのいい加減な対策でいいもんか。それが去年の事故でわかった事ではないか。何で考えないのかなあ、全く理解できない。

再稼働反対の方が論理的、合理的

最近のニュースでは、福島第一の4号機の配管からの水漏れでプールの温度があがったとか、大飯原発の再稼働を枝野経産大臣が福井県に要請しにいったとか、2号機の温度計がまた一つ壊れたとか、というような原発関連のニュースがある。もちろんその他にも大きなニュースがあるんだけど、原発関連のことがやっぱり一番気になると言うか、本当に問題にして考えないといけないことなんだと思う。
原発再稼働に反対するのは感情的だと石原都知事が言ったというのも今日聞いた。感情的?それだけではない。というか、感情がそれだけはいるということは、それだけ自分達の生命、生存の問題を意識しているからだと思うが。こんな言い方をして自分達の方こそ冷静で合理的な判断をしているんだと皆に訴えかけようとしているんだろうけど、その判断はいったいどのようにしてなされているのだろう。
結局、原発事故が起きた時には全ての生命に対して脅威となる放射能がばらまかれるが、その影響がどの位の物かということに対する認識の違いだろう。今までは安全神話を言ってきた人たちが今度は危険神話とかっていう言葉を使って原発に反対する人たちを避難したりする、その態度は放射能の影響は大したことないんだから騒ぐなと言っている、ということなんだが、実際どうなのか。
裁判なんかでよく前にはいわれていた、「疑わしきは罰せず」というのの反対を放射能に対しては本当は取らなければいけないのではないかと思われるのだが、そこのところのコンセンサスはできていないと思う。しかし、放射能の危険性という物を認識していたからこそ何十もの防護策を取っているといい、人口の多い都市の近くにはおかないようにしてきたのだから、できるだけ放射能にはあたらない方が良い、というのが本当だというのを容認派の人たちも認めてきたわけなのだが。地震のことにしたって、津波の恐ろしさにしたって、3.11の時のビデオを見ればちょっとやそっとの小手先の対応ではダメだというのがはっきりわかるはずなのに、それを認めようとしない方が論理的でないだろう。むしろ原発容認派の人たちの方が感情的と言っていいくらいなのに。
それなのに、何故そんなことを言われ、訳の分からない対策をとるようにしたからっていうだけで再稼働することができるのか、全くわからない。理不尽である。
電気に頼っている生活ではあるが、しかし、原発に頼らない方法での電気の解決法を見つけるべきであり、その為に政策を作って欲しいのだ。

脱原発

昨日はあちこちで大きなデモがあったそう。それで変わって行くといいんだけどな。
ほんとに電気に頼った生活してるから、電気がなくなるのは恐ろしいことだが、やっぱり水と電気とどっちが大事かと言ったら、水の方が大事である。しかも、電気を作る方法は沢山ある。実際には電気を他の方法で作る事から新しい産業みたいなのが生まれるかもしれないんだが、原発の恩恵に頼ってきた人にはそういうの考えられないのだろうか。
自分の問題として、屋根に太陽光パネルをつけたいと思ってるが、それだって結構難しい。初期投資に結構かかるというのがやっぱり一番の問題なんだ。それができたとして、どの位取り返せるか、っていうことを計算する。うちの屋根なら沢山のパネルは取り付けられない、と言われる。形が悪いから。天気まかせだし、夜は使えないし、そういうことを考えると…って、ことになるんだ。でも、つけたいと思ってるけど。
前から思ってきたことだけど、電気を自分で作るのは最初の初期投資の問題をクリアすれば、後はかなりできてしまう。それだと電力会社にとっては電気を売るということが少なくなってしまうから電力会社はそれをさせないようにしてきたんではないだろうか。
小さい電気の地産地消って、案外簡単なことなのではないかしら。
自然エネルギーへの変換、できたら多分みんなの生活は今とはかなり変わるだろうなあ。気分が違うだろう。
これは考えてみれば、石油に頼ってきたのが石油なくてもやっていける、っていうことになるかもしれないんだから、大変なことだ。原発の事故は収束できず、放射能の被害が広がっている。普段の生活の中で放射能のことなんか、考えなくても良かったのが、今ではすべてが変わってるのだ。放射能の強い世界の中で生きて行くしかなくなってしまうからこそ、そうではない世界を、取り戻すように生きていかなくてはならないわけだ。

この先…

日本はこの先どうなるのかなあ。放射能の影響で人々の病気が増えたりすることがあってもそれが原発とは直接的な関係はない、とか言って当局は知らんふりをするのかなあ。
どういうことになるのかわからないが、住めない場所がでてるんだし、農業、漁業、その他産業に影響が出ているのだって確かなんだし、起きたことの重大さとそれに対する責任を取るということを考えたら、原発どう考えてももうやめた方がいいだろうと思うんだけど、そういう風になっていかないのはなんでだろう。
よっぽど儲かるんだろうなあ、原発って。賠償額が凄いはずなんだけと。結局、政治家なんかが自分の所に入るお金のことばかり考えてるから、こういうことになるんだ。お金ってほんと、みんな大切にするよな、特に持ってる人がもっともっとって言って。言わなくてもそうだし。
こういう状況、また人々は非常の素直で言われてることをいつも信じる。でも、今回はそうはいかないっていう所を見せなくてはなりません。簡単に諦めるんじゃない、それにあるべき姿というものを考えろ。

ポイントいっぱい

最近、テレビでも得するポイントの使い方とかを特集していたりして、せこいなあと思いつつ見てしまったが、実際自分が使うのにはどういう風にしたらいいのかは結構迷うところだ。テレビなんかではコンビニ関係のネタも結構多いのだが,自分はほとんど普段の物をコンビニでは買っていない。だって、スーパーで買う方が安い物が多いんだし、一旦買い物に行けばできるだけ買おうと思うからコンビニへは行かないのだ。
でも、このところ電子マネーやカードのポイントも結局は貯めた方が後で使えるようになるんだから得だと思い使っているのである。現金だったら買ったらそれでおしまいなのに幾分かはお金として使えるよう返してくれたりマイルにしたりポイントをもらったり、それが結構なお得感をもたらしてくれるからみんなが使っているのである。

大事なのは、今の自分にとってどんな使い方をするのが良いのかを考えることなんでしょう。ポイントを重ね取りするのが最近の人気なんだそうである。Tポイントというのがよくたまると友人も教えてくれた。今まで使ってなかったけどそれのつくお店に行って使おうと思う。ただ、そんなにたくさんそういう店があるわけではない。それで他の方法もミックスする。というか,スーパーでも何でもそれぞれのやり方を主張しているわけである。こっちとしてはそれに従わざるを得ない場合も多い。

ま,いいか,こんなことは。使える時はそのものを使って、あれ,知らない間にたまってた、ラッキー,みたいな感じでいいか。
結局、ポイントにつられて買い物してしまっては意味がないわけだから,そこのところを忘れないようにしなければ。

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