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疑問の勉強

興味と関心を持ったこと、どんなことでも調べてみる、または書いておくための自分用のブログ

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献立、あるいは一日をトータルで考えた方がいい

食事作りは毎日の家事の中で本当に大きな位置を占めている。この頃は前のように冷凍の素材なんかもあまり使わないから、買うものが限られてしまう。肉、魚、野菜、果物、あとは豆腐や納豆。ということで、いつも大体同じようなものしか買っていない。その中から献立の工夫をするのでは、いつも同じようなものになってしまう。献立作りって大切なことなのかなあ。

いつもの献立ははっきり言ってむちゃくちゃである。洋風のに和風のがくっついていたり、味が合わなかったり。考えるべきことはその日の食事がトータルで栄養が揃っているかどうかということで、一つ一つの料理の作り方ということではないはずなのである。そこができていないところだ。もう少し一食一食なら全体を考えればいいんだけど…。

 今日は昨日一玉50円で買ったキャベツにハンバーグの種を詰めたキャベツのひき肉詰めを作ったのだが、これなんか洋風な感じだ。はっきり言って豪快な料理だが、最初からの献立としての考えがなかった。最後になって果物のヨーグルト和えを作ったわけだが、その料理に夫と子どもはイカの塩辛を出してきてご飯に乗っけて食べてしまった。決して良い組み合わせではないと思う。

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今日の読書

今日は家計の講習会もなく、一日家にいられる日だったので一人で家で本を読む。午前中は「わら一本の革命」(福岡正信著)を読み、午後はシュタイナーの自由の哲学とか神智学とかというのをパラパラしてみた。シュタイナーは最近よく出ている江原さんとかにも通じるようなもんだと思う。物質的、感覚的な世界を超えて霊的な成長をすることに人生の本当の意義がある、ということかなぁ。これは究極の真理というよりは、基本的事実なんだって。
目に見える以上のものがあると言うことはわかるし、これが本当なのかもしれないなとも思うのだが、真実というのはどうなのだろう?わからない。

容姿を考えると…

人間にとって容姿というのは一体どのような意味を持つものなのか、自分にとってこの悩みは大きい。自分自身の容姿を意識さえしなければ、この私だっていろいろなことをやるのにやぶさかではない。むしろ、自信を持って臨むことができるのだ。ところが、自分自身を鏡に映してみて、客観的に見てみたとたんに、こんな格好で世の中に出られるのか、出ると笑われてしまうのではないかと思ってしまうのだ。そういうことをほとんど意識しない時は本当にいろいろなことが自由にできるのに・・・。

いろいろなところに、人間の弱さというのは出るもんだけど、一度そういう風に思い始めたら結構とらわれてくる。本当の自分の姿と言うのは必ずしも目に見えるものだけではない、と思っているのだが、もしそうであるのならば、何故多くの人が外見によって判断されてしまうのか。そこの所は大きななぞである。何で、見た目にきれいとか可愛いとかそういうことがそれほどの重要性を持ってこの世で語られるのか。
本当の自分を表すのに容姿外見はかなり邪魔になっている。というか、気になると言うか…。

人間は見た目ではない。そんなことはみんなわかってるのに、何で大きな問題になってしまうのか。この社会における非常に大きな疑問である。

変えないといけないんだろうなあ

家事家計講習会は4日目を過ぎた。今週は毎日なので、早く寝ないといけないのだが、なかなかそうしないのが自分のよくないところだ。しかし、明日は内容的には今日と同じなのでまあ大丈夫だろうと思う。

昨日は表係だったから結構楽だったが、やっぱり司会は本当は緊張する。こんな司会じゃあだめなんだろうなあ。それほどだめだとも思わないんだけど。お客さんが少なくて、家計簿の売れ行きも悪いので、年配の人たちは昔とは全然違うと言うが、それは当然だろうと思う。だって、今は非常に様々な情報があるんだから、いろいろなことを知っている人が多いんである。しかし、その情報は本当はメディアによって選択されたものだ。偏っていると言っていいとおもうのだが。身近なものが軽視されてると言うか何と言うか、そういうことはあるだろう。

家計簿はしかし、そんなに簡単なものではない。普通はつけるところで挫折するのに、予算のことなんか言ってるし。自分としてはパソコンでつけるのは好きなのだが、それは早くできるから。必死でつけても集計したものに目がいかなければどうしようもないんである。その辺のこと、わかってるのかな?

音読の効果

夕べは9時半に寝て今朝は6時半に起きた。久しぶりの9時間睡眠でかなり疲れが取れたような気もする。でもやっぱり肩が硬い。首を倒してみてもあんまり曲がらないみたいで肩や首が硬くなっている。日野原先生は首の柔軟性はとても大切だと言っていたけれど、この調子ではだめだなあ、という気がする。寝て起きた時体が硬くてだんだんほぐれていって夜の方が軽い感じがするんだからどうしようもない。それでも少しずつ首を回したり、柔軟体操をしたりするようにしようとは思うんだけど。こういうことはなんといっても、継続することが大切だが、それが難しいんである。

今朝はしかしよく寝たせいか、割と気分が良い。今日の夜は家事家計講習会の初日なんだから頑張らないといけないのだが、今はまだ朝なので何となく気分が軽い。本当は練習をしたり夕食を準備したり、いろいろなことをしないといけないんだけどね。

で、朝気分が良かったから夫の買っていた本を少し読んで、音読をもう一度始めることにした。この本は脳の働きを活発にするにはどうしたらよいかが書いてある本である。音読は脳を活発にするのに役立つので朝やった方が良い。毎週毎週来てもろくに読めないアサヒウィークリーを読むことにした。最初のページと、最後のページを読んだ。アメリカの民主党に新しい大統領候補になるような人が出てきたらしい。黒人系だけど若くてハンサムで言うこともしっかりしているみたい。この前のアメリカの中間選挙でブッシュがメッタメタだったのに比べれば、確かにはるかにましな人かも。大体ブッシュなんかが当選したのがおかしいのだ。イラクは本当にどうしようもない状態になってしまっているのだから。日本が強いものに巻かれろでどんなやつがどんな変なことをしてもアメリカについていくという態度を取るのは本当にばかなことだが、それに対して一般大衆が大した声も出さないのだからおかしなことが続けられるのだ。どうせ言ったってだめだ、と思うのはおかしいということを皆で考えなくちゃ。それに、もっと本当にグローバルな見方で世界を見なければ。

光熱費削減の切迫感がない

今日は中標津友の会の講習会で中標津まで行った。

今年の釧路の内容は食に関するものばかりだったから、中標津の環境-光熱費の削減-というのは結構印象に残った人もいたようだった。

なかなか環境問題への取り組みというのは進んでいかない。普通の家庭で二酸化炭素の排出量を減らそうとかって言っても、なかなかやる気にはならないもんだ。自分だけやってもそれほど大きな違いはないだろうし、そのために我慢するのは嫌だという気がするからだろうと思う。

自分自身を思っても、一時電気を減らそうと思って使わないところのブレーカーを下ろしたりしたこともあるのだが、そういうことをするのは結構大変である。いつも思っていなければすることができないからである。それよりも効果的なのは、テレビを見る時間を減らしたり夜寝る時間を早くすることなのだろう。それにしてもかなりの努力をする必要があるんである。自分の家の光熱費を減らすことに大きな意義を見出す人でなければなかなか長続きすることは難しいのではないか、というのが私の見方だ。

本当に一つ一つの家庭で光熱費を減らさなければならないのか。どうにもこうにも立ち行かなくなってこのままでは地球は人間が住むには適さないところになってしまうのか、そこのところの見極めというのが大切なことになっている。

安心だ

このブログは自分のためである。人から見られることはないと思う方が自分にはやっぱり書きやすい。人とのつながりを求めることが主な目的のブログもあるということは知っているのだけれども、今のような使い方では他の人が見ないという安心感の方がずっと強い感じ。

忙しいときはしょうがないが、いろいろなものに興味を持ち、疑問を持ち、それを解決したり調べていくことをやっぱり一番大切にしたいもんだと思う。

今までのもそれなりに良いもんだ

家計の話の最初にしゃべること、今までよくよく聞いてはいなかったから自分が今までのものではなく新しくしようと思っても前のものとほとんど変わりはしなかった。

今までのものもそれなりに、というか、十分に立派なものだったということになりますんで、伝統のあるものにはそれなりの価値を認めなければならないということがわかります。今まで少し傲慢だったかなあ。

全く新しいのをつくろうとかそういうことを思ってもなかなかそうは行かないもんだなあと思いますね。

物理的世界

休みが三日目になるともう家事家計講習会から大分離れた感じがして、今日はつい本屋さんでかなり長い時間立ち読みしてしまった。

こういう時やっぱり自分自身気になるなあと思うのは、宇宙のこととか生物とかのことを書いた本である。本当の世界はどうなっているのか、ということはこういう学問でかなり追求されているのだろうが、それでもわからないことだらけなのだ。人間の意識とかのことだって。宗教的なことだって。本当はどうなっているのかというのはわからなくても知りたい。多分、本を読んだって本当にわかるわけではないが、やっぱりそのことを追求している人たちが何と言っているのかというのは知りたいことだし、どこまでどんなことがわかっているのかに興味がある。

人間社会の世俗的なことは確かに面白く、そこにこそ物語があるわけで、それはそれでやっぱり追求したいと思うのだけれど、この分野は自分にとっては最後の最後まで忘れたくないところだ。

リラックスしたい

リラックスして筋肉の力を抜いて肩こりなんかのない生活にするのって、大事なことなんです。しかし、夜になるともうすっかり疲れてしまっている。本当は夕食つくりなんか嫌いだ。だけど、義務感を感じながらやっている。疲れすぎているときには何かをやる気力なんかなかなか起きないんである。それなのに、次の日のことを考えて用意までしとけ、というんだから。確かに次の日の用意をしておけば朝は楽になることはわかっているんだけれど、夜にそんなことをすることなんか到底考えられないくらい疲れてるんだ。

リラックスの方法はこの前「ためしてガッテン」でやっていたから、少し覚えた。ちょっと瞑想に近いかな~とも思った。筋肉のスイッチオフにすることが肩こり状態を解消する方法なんだって。ほんとに疲れているときは肩もこりこり、カチカチだ。少しそういうのをやってみよう。

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