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疑問の勉強

興味と関心を持ったこと、どんなことでも調べてみる、または書いておくための自分用のブログ

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衣類の整理

昨日から衣類を整理しようと思ってとりかかってみたが、非常に時間がかかるし疲れる。アイテム別に数だけでも数えるといいというのを読んだのだけど、実際にやると手間取るのだ。やはりもったいないという気がして一つ一つどうしようか考えるのだ。拭き布にするのも切るのに結構時間がかかるものだ。
普段から服などの回し方を考えなければなりませんね。でも、数だけでも把握しよう。かっこよく決めたいけどねえ。
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ストレッチ

毎朝体が硬いというのは決して良い兆候ではない。実際的に自分が好きなのは体を動かすことより、座って本を読むとかテレビを見るとかっていうことで、ただ歩くために歩くのなんか全く意味のない時間のように思われてしまう。いくら歩くのが良いと言われても歩くためだけの時間をとるのなんか嫌なんである。
ということは、生活の中の他の場面で自然に体を動かしてしまうようなのがいいのであるが、できるだけ動かず節約しようとしてしまうのは体から考えれば馬鹿なことだ。

それと、体が硬くなってきているということはかなり実感していることで、これも何らかの手を打たなくてはならない。多分、目やなんかと同じように体も固定してしまった状態になっているということが一つの原因になっている。朝起きたとき、夜寝る前、お風呂の中などでストレッチをすることが大切なんだろう。凝った状態を作らずほぐすようにしていかなければ。
どうすればいいかはわかっているのだが、実行しなければ意味がありません。

食べ物と体の関係

これくらいのものは食べないとだめだとか、こういう栄養のためにはこれがいいとか、ダイエットには何が良くて何が悪くて、とかっていうことは今では非常に大事な事柄として扱われている。まあ、そういうのは先日の納豆がダイエットに効くというのが捏造されたことだった、ということがあるようにほんとらしく言われながら実際は本当ではなかったというのもあり、またその反対に確かな事実として認められていることもある。
ダイエットに関して言えば、食べたカロリーの方が消費するカロリーより多ければ太ってしまうし、少なければやせるということで簡単にけりがつくような気がするのだが、実際には本当に大きな関心事となっており、様々なダイエット法が生み出され、宣伝され、実行されている。
それ以外にもいろいろな食品の効能についての話、健康作りのための話があるわけだが、本当はどうなのかということが、はっきりわかることがあるのだろうか。
これだけのものは食べなければならない、朝食はこれだけ摂りなさい、といくら言われても本当にそれだけのものが必要なのかどうか、それはわからないのではないか、何となくそんな感じもする。
食は10年後の健康に関係するというんだけれども、食べるということは他のいろいろな行動の根底を支えているようなものでそれほど他の活動より前に出てくるべきものでもないという感じがする…。
食べることより大切な自分のやらなければならないことがあるんではなかろうかという気がどうもする。
しかし、そうではあっても食べることの大切さを訴えていかなければならないのである。

やるべきことがなかなか出来ない

休みになると完全に会のことを忘れてしまってろくに仕事も何もしていない。もちろん、これでよいはずはなく、いつも何かをやっていないといけないのである。今は本当は書かなければならないことがある。この頃思うのは、皆随分いろいろなことを思ったり考えたりしている中で、自分はそれほど複雑な考えも持たず、比較的シンプルに直線的に考えてしまうということである。こうなったらこうなるはずだから次はこうなる、と考えると割合自然に結論に行き着くが、しかし結論に行き着いたからといってそれで終わりとなることはない。生活している中のことは、何かの結論が出るということよりも、続けていくことが出来るかどうかということが重要なポイントになる。
やらないといけないことをまだやっていないということは、次々引き伸ばしていく理由を考えているということであります。適当な理屈や理由をつけていても、それは本当に表面的な問題であり、根底にはやりたくないという気持ちがあるものなんである。ともかくも取り掛かることが大切だ。

レジ袋だけでも大変

自分でレジ袋を持たないことにしようと決めて、買い物用のエコバッグを作ろうと思えばそれはそれで全然難しくも大したことでもなく実行することが出来ることである。毎日のご飯を作ることなんかに比べたらほとんど意味がないことだと言ってもいいくらいだ。それでも皆でやるとなったら結構大変である。これがレジ袋が有料になったとしたら、あっという間に普及するのに違いない。欲しい人は買うというのが一般化するのである。
こういうことを考えてみると、経済的なことが日常生活にもたらす影響というのはかなり大きい。お金を出すと言うことには大きな意味がついているものなんである。

皆がやっていて自分がやっていなかったら結構惨めな感じがするものなのにな~。良いとわかっていたとしてもできないことが多々あるというのは非常に良くわかることである。

Tired

I can't write here in Japanese now.  Sometimes such accidents happen here.  I don't know why.  

I'm really exhausted today but the reason is not physical, but psychological.  I feel the responsibility of my job and it's rather heavy on me. 

何でもかんでも飛びつくなんて

今日は英語の日であり、トピックは納豆ダイエットの捏造問題から、何故そういうものを簡単に皆が信じてしまうのか、という問題だった。新聞なんかで問題になっているのはそういう番組を作ってしまうテレビ局のことだが、確かに何でもすぐに信じ込んでしまう視聴者の方にも問題がある。あれがいいといえば飛びつき、これがいいといえば飛びつき、走ってしまうのだ。それも特にダイエットに聞く、やせられる、というやつ。
とにかく痩せたいという事が多くの人にとって何より大事なことになっている。痩せていれば痩せているほどいいという考えはどこから来るのでしょうねえ。でもそれは簡単だ。要するに綺麗でスタイルのいい人がもてはやされていて、スタイルがいいというのはすなわち痩せていることだからである。テレビでも雑誌でももてはやされているのだから、多くの人がそう思うのは当たり前だと思う。痩せる痩せると言えば皆が飛びつくのを見越してそういう求められる番組つくりばかりしているので、あのような番組になるのである。
肝心なことを知らず、一過性の情報でうろうろしていてどうなる。体の作りのことなんかよりもっと自分のやらないといけないことを見つけ出せ。

本当はどうなのか

加賀乙彦さんの「悪魔のささやき」という本を読んだ。今の日本の社会で増えている犯罪や自殺の後ろには、「悪魔がささやいている」としか思えないことがある、というのである。
皆が戦争に向けて突っ走った太平洋戦争の前の頃の様子も知っていて、その後の戦後の世界を見てきた精神科医であり作家でもある人の真剣に世の中を見て書かれたものだと思った。悪魔とか神とかと言われてもなかなか真剣な意味で受け取るのは難しいと思うのだが、この前からオーストラリアのABCのポドキャストで聞いてそうなのか~と思っていた、hearing voicesの内容と通じるところがあるような気がして興味深かったのである。
オウム事件のこととかもあって麻原のことなんかも書いてある。本当に、人間を知るということのためにはオウム事件というのは避けて通れないものだろう。でも自分の実感としてはなかなか受け入れがたいものではあるけれども。何故あのようなものに多くの人が惹かれて行ったかをしっかり考えなければ人間を育てることの本当の意味はつかみきれないだろう。今の学校の教育では出来ていない部分を確かに見なければならないのだが…。
今結構ブームになっているスピリチュアリズム、それでいろんな霊に憑依されるとかっていうのもよく言っているけど、そんなもんなんでしょうか。事実は一体どうなのか、本当には死後の世界を信じ霊を信じれば良いのか、それとも生きている人間の世界はそういうものとは関係なくそれぞれの人間の生き方を通して決まっているのか、わかりたいと思うのだが、そういうことをどうやって別れというのだろう。
でもどっちかというのがわかったとしても、結局はその人の行き方自体が問題なのだということには変わりなく、実践面では同じような結論に達していくだろう。

インターネットテレビ

昨日はギャオというところでインターネットで番組が見られるというのを知り、行ってみた。無料でドラマとかニュースとか様々な番組を見せてくれる様子。それでポアロとシャーロックホームズの番組を見たのである。どうも調子の悪いDVDよりこっちのほうがまともに見られたので感心した。そうかあ、インターネットってテレビのかわりにもなるのかと昨日はちょっと感心した。
しかし途中で紙芝居のように画像が飛び飛びになってしまったのはやっぱりうちのインターネット環境が光ではないからだ。こんなんなら光にしても良いかも、と昨日はおもったのだった。

また地震が

昨日はまた大きな地震が能登半島であった。本当に、災害は忘れた頃にやってくる。この前の新潟県の地震だってそんなに前のことではないし、釧路なんかに住んでいたら地震はかなり身近なものであるのに、それでも忘れてしまうのである。本当に「喉元過ぎれば熱さを忘れる」ということわざどうりだ。
何でこう簡単に忘れてしまうのかなあ。その時は本当に痛い思いをしているというのに。

しかし、このところあまりテレビなどを見ていないので地震があったというのも単に聞いた、というぐらいの意識しかない。たくさんの人が困っていると言うのにね。

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