興味と関心を持ったこと、どんなことでも調べてみる、または書いておくための自分用のブログ
毎朝体が硬いというのは決して良い兆候ではない。実際的に自分が好きなのは体を動かすことより、座って本を読むとかテレビを見るとかっていうことで、ただ歩くために歩くのなんか全く意味のない時間のように思われてしまう。いくら歩くのが良いと言われても歩くためだけの時間をとるのなんか嫌なんである。
ということは、生活の中の他の場面で自然に体を動かしてしまうようなのがいいのであるが、できるだけ動かず節約しようとしてしまうのは体から考えれば馬鹿なことだ。
それと、体が硬くなってきているということはかなり実感していることで、これも何らかの手を打たなくてはならない。多分、目やなんかと同じように体も固定してしまった状態になっているということが一つの原因になっている。朝起きたとき、夜寝る前、お風呂の中などでストレッチをすることが大切なんだろう。凝った状態を作らずほぐすようにしていかなければ。
どうすればいいかはわかっているのだが、実行しなければ意味がありません。
これくらいのものは食べないとだめだとか、こういう栄養のためにはこれがいいとか、ダイエットには何が良くて何が悪くて、とかっていうことは今では非常に大事な事柄として扱われている。まあ、そういうのは先日の納豆がダイエットに効くというのが捏造されたことだった、ということがあるようにほんとらしく言われながら実際は本当ではなかったというのもあり、またその反対に確かな事実として認められていることもある。
ダイエットに関して言えば、食べたカロリーの方が消費するカロリーより多ければ太ってしまうし、少なければやせるということで簡単にけりがつくような気がするのだが、実際には本当に大きな関心事となっており、様々なダイエット法が生み出され、宣伝され、実行されている。
それ以外にもいろいろな食品の効能についての話、健康作りのための話があるわけだが、本当はどうなのかということが、はっきりわかることがあるのだろうか。
これだけのものは食べなければならない、朝食はこれだけ摂りなさい、といくら言われても本当にそれだけのものが必要なのかどうか、それはわからないのではないか、何となくそんな感じもする。
食は10年後の健康に関係するというんだけれども、食べるということは他のいろいろな行動の根底を支えているようなものでそれほど他の活動より前に出てくるべきものでもないという感じがする…。
食べることより大切な自分のやらなければならないことがあるんではなかろうかという気がどうもする。
しかし、そうではあっても食べることの大切さを訴えていかなければならないのである。
I can't write here in Japanese now. Sometimes such accidents happen here. I don't know why.
I'm really exhausted today but the reason is not physical, but psychological. I feel the responsibility of my job and it's rather heavy on me.
今日は英語の日であり、トピックは納豆ダイエットの捏造問題から、何故そういうものを簡単に皆が信じてしまうのか、という問題だった。新聞なんかで問題になっているのはそういう番組を作ってしまうテレビ局のことだが、確かに何でもすぐに信じ込んでしまう視聴者の方にも問題がある。あれがいいといえば飛びつき、これがいいといえば飛びつき、走ってしまうのだ。それも特にダイエットに聞く、やせられる、というやつ。
とにかく痩せたいという事が多くの人にとって何より大事なことになっている。痩せていれば痩せているほどいいという考えはどこから来るのでしょうねえ。でもそれは簡単だ。要するに綺麗でスタイルのいい人がもてはやされていて、スタイルがいいというのはすなわち痩せていることだからである。テレビでも雑誌でももてはやされているのだから、多くの人がそう思うのは当たり前だと思う。痩せる痩せると言えば皆が飛びつくのを見越してそういう求められる番組つくりばかりしているので、あのような番組になるのである。
肝心なことを知らず、一過性の情報でうろうろしていてどうなる。体の作りのことなんかよりもっと自分のやらないといけないことを見つけ出せ。
加賀乙彦さんの「悪魔のささやき」という本を読んだ。今の日本の社会で増えている犯罪や自殺の後ろには、「悪魔がささやいている」としか思えないことがある、というのである。
皆が戦争に向けて突っ走った太平洋戦争の前の頃の様子も知っていて、その後の戦後の世界を見てきた精神科医であり作家でもある人の真剣に世の中を見て書かれたものだと思った。悪魔とか神とかと言われてもなかなか真剣な意味で受け取るのは難しいと思うのだが、この前からオーストラリアのABCのポドキャストで聞いてそうなのか~と思っていた、hearing voicesの内容と通じるところがあるような気がして興味深かったのである。
オウム事件のこととかもあって麻原のことなんかも書いてある。本当に、人間を知るということのためにはオウム事件というのは避けて通れないものだろう。でも自分の実感としてはなかなか受け入れがたいものではあるけれども。何故あのようなものに多くの人が惹かれて行ったかをしっかり考えなければ人間を育てることの本当の意味はつかみきれないだろう。今の学校の教育では出来ていない部分を確かに見なければならないのだが…。
今結構ブームになっているスピリチュアリズム、それでいろんな霊に憑依されるとかっていうのもよく言っているけど、そんなもんなんでしょうか。事実は一体どうなのか、本当には死後の世界を信じ霊を信じれば良いのか、それとも生きている人間の世界はそういうものとは関係なくそれぞれの人間の生き方を通して決まっているのか、わかりたいと思うのだが、そういうことをどうやって別れというのだろう。
でもどっちかというのがわかったとしても、結局はその人の行き方自体が問題なのだということには変わりなく、実践面では同じような結論に達していくだろう。
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