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疑問の勉強

興味と関心を持ったこと、どんなことでも調べてみる、または書いておくための自分用のブログ

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何のためだ

原発の再稼働が安倍政権の最初からの方針。それをはっきりと言わずにエネルギーのベストミックスを考えるとか何とかそんなこと言って原発政策のことなんかははっきり言わなかった。そして、原発推進は考える余地もない方針として進めている。絶対にどんどん進めていくという方針だ。なんで、こんなのについていかないといけないのか、理解不可能だ。大体、総理大臣や政府は安全が確認された原発は再稼働を進めていくと良い、原子力規制委員会の委員長は安全だとは言っていない。そして、地元の間は政府が安全だと言ってるから進めると言うまるで理屈になってないんじゃないか。専門家は安全だと言っていないわけだ。政府は、でも、安全と言っているから政府が安全と決めている。そうやって決めても実際には安全ではない。だいたい800年に1回の大地震が起きて津波が起きていたとが想定外で実際に起きたと言うのに火山の爆発がないという保証は全くないのであって多くの人たちを命の危険にさらしているということになるではないか。
要するに、彼らはうつけである。そんなものに大多数の国民の命を預けられるわけがない。だいたい今の政府は、国民の健康とか安全とか命を大事にするとかそういう事は全く考えていないと言ってよい。彼らの考えているのは金の事だけど。それも庶民からは巻き上げるだけ巻き上げて金をなくして自分たちだけが太ろうとしている。しかしそれが続けられるわけがないと言うのはわかるはずなのだが、それさえもわからないのだろうか。一般人がお金を持っていなければ国内の消費が増えるわけもなく、払える金もなく、全員が倒れていくだけなのである。外国に対して文句を言って自分たちの優位性ばかりを主張しても実際に利益になるものはほとんどない。そんなこんなで日本を滅亡させようと思っているのに違いない。
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破滅への道としか思えない

この頃思うことは、日本は滅亡に向かってるんじゃないかということ。このまま行ってはいけないのに、全部破滅へ向かう道ばかり。原発だってそうだし、訳のわからない積極的平和主義なんかもそうだし。まともに日の当たる方向に進んでるとは到底思えない。
そんなの明らかだけど、まるで何事もないかのように振舞ってる人々の姿にも呆れる。気がつかないのか、気がついててそうしてるのか。とにかく、こんなの嫌だ。

情報を隠さず知識を与えよ

この数日、大飯原発の差し止め判決が出たり、吉田調書というのが新聞に出てにして、原発のことがまた少し話題になってきたのかなと思う。原発事故は絶対忘れられないことのはずなのに、なかったことのように毎日を過ごしていくのはやっぱり問題があると思う。
日本人はどうやってもある程度の被曝は避けられないっていうのが本当だろうと自分は思っている。ある程度の時間ご過ぎてから出てくる晩発性の病気とか、怖いと思うし、余計な被曝などしたくないのは当たり前のことだ。今の状態では、食品中に含まれている放射性物質の量などとてもわからない。表示もされていないし、量られていないのがほとんど。これはやはり安全だと言うのはおかしいのだ。誠実な対応の仕方というのが全くなされていないと思う。1番大事に考えられているのが人間の命ということではなくて目の前のお金のことだからこのような結果になっている。先日の判決は非常に嬉しかった。これは普通の人間の考え方だ。政治や経済にとっていかに影響が大きくても絶対に見直しを考えて欲しい。ただただそれだけを思っている。

論点外し

今の政権のやり方は、本当に大事な原発のことなんかはできるだけ事実を隠し、原発事故の被害とか影響とかを見えなくしようとしており、一方で外国の脅威はことさらに強調して危機を煽り、意図的にそのことばかりを取り上げようとしている。国内のどうしようもなく大きな問題からは国民の目をそらす論点外しのやり方。メディアの人とかはいろんなことを知りうる立場にあるんだから、知ってることはできるだけ報道してもらいたい。反対意見があったら正々堂々と論争すればいいじゃないか。おかしな理屈ばっかりつけるなよ。

自分の体験を語るのは自由のはず

どんどんどんどん嫌な雰囲気の国になってきているのがどうしようもなくたまらない気分にさせる今日この頃である。自分自身は全くと言っていい程変化がないのに、世間の感覚というのが変わっていっているらしい。まあ、その一番の原因はおかしくなってしまっている日本の上層部の人達の物の考え方に由来しているのだが。
全く合点がいかないのが、憲法には大臣や公務員や国会議員は憲法を守る義務があると書いてあるのに、全く守ろうという態度を示さず憲法の悪口を言いながら正面から変えていけないので無るやりこじつけているところである。全く無茶苦茶だ。それに、今の国会は裁判所から違憲状態である、と言われている。違憲な国会で違憲な内閣なんだから、勝手にいろんな事をやられても正当性をもっていない。本当は私的諮問機関なのに、政府の機関の様な顔をして違憲のことを決めているのなんか、許せない。認められない。あまりにもおかしすぎるんである。
その一方で「美味しんぼ」というコミックにでてきた、鼻血のことでおかしな批判がでまくっているが、これは作者の方の実体験をもとにしているという事だ。自分自身の体験をマンガの中に入れて書いているだけだ。文句を言われるような筋合いのもんではないだろう。大体、そんなことを書いたら風評被害になるとかというのがおかしい。実際にある話は誰でもしなければならない。個人的体験は自分自身のものであり、他から制約されるべきものではない。
ありとあらゆる点からみて、今の政権、風潮、言いがかりばかりつけて本質を見えなくさせてしまうこのやり方、こんな物を放っておくべきではない。言葉だけを美しく実態を見えなくさせるいい方にかえ、何から何まで強引に勝手な理屈を通そうとする。今の方向でこれからの日本が良くなっていくとは到底思えない。体面を繕ってかっこよくしようとしているが、多くの不幸を招くだけだ。
誰でも、もっと本当のことを語るべきだ。風評ではなく実害、それをもたらしたのは原発、進めたのは日本の国そのもの、反省することを知るべきだ。実際の体験を沢山の人が声に出すことがまず必要だ。不都合なことを言わせないようにする圧力に負けてはならない。

服をどうしよう

季節が変わる時は着るもののことが気になってくる。陽射しが明るくなってきて、ちょっと明るい軽い感じのを着たいと思うのだ。それに少しでも格好良く、感じよく素敵に見えるようになりたいわけで、選び方、コーディネートの仕方、管理の仕方というものを知らなくてはならない。
ベーシックな良い物を大事に長く着るというのも大事な事だと思うのだが、以外とベーシックな物も変化する。気に入ってよく着ていると傷んだりへたってきたりする。服も消耗品だというのも本当だと思う。同じような物ばかり買うのではなくて、種類の違う物を揃えていくのも大切な事だと思う。これが意外と難しい。自分の持ち物を把握しておくことが必要で、買う前に何を買うのかはっきりさせとくことが大事だ。ベーシックな物に小物で変化をつけなさいとかよく言われてるけど、そうするためには小物持ってないとできない。どんなのを選ぶか、これもセンスのない私には難しいなあ。

情報ちゃんと伝えないと結果は出ない

都知事選は終わったけど、ツイッターとかで選挙演説とかを見ることができたのは自分にとっては良かった。脱原発が二つに分かれてしまったのを悲しんでいる人がとても多かったみたいだけど、原発再稼働が本当にすぐそこに来てしまっている今、それが大問題であるという事を皆に知らせて考えてもらうという意味はあったと思う。本当に二度と原発事故を起こしてはいけないのに、実際にそれをやろうとしている方が本当の意味での反省というか、見直しというか、人々の命にかかわることであるというのをどうしてもしっかり見ようとしないというのはいったいどういう事なのだろう。何で真剣に事故が起きた時のことを考えられないのか、もうすでに福島の事故が起きてしまっているのに。収束できないという事もはっきりわかっているのに。

原発事故の起こる原因は様々に考えられるはずだ。しかし、今行われている審査の基準というのはどうやら福島と同じような事故を起こさない、という点で考えられているだけらしい。他の要因で大事故になることが考えられるのに。それに、大事故が起きてしまえば避難したって駄目だ。逃げること自体難しいだろうし、逃げたとしても元の家に帰れる保証などなく、日本全体に放射能汚染が広がってしまう。今だって食べ物の安全性はどうなのか、空気や水にいろんな放射能が入っていてだんだんに健康が脅かされていくのではないか、と恐怖に怯えながら皆が何か普通にしてるから多分大丈夫なんだろうとかと思いながら生活してるんだから。

大体、放射線防護の法律とかっていうのは福島事故前にちゃんとあって、今は放射線管理区域以上になっている地域とかがあるのに、その法律は無視されている。そして、放射能なんか何でもないんだと言って都知事選に出て結構な支持をもらった人とかもいるわけで、むちゃくちゃな話だ。そのくせ小学生にガン教育とかっていうのをして、ガンが実際には増えていくことをもう当然のことのように予測しちゃっているわけである。全く矛盾しきっており、こんなことをやっている政府なんかを許せるわけがない。都知事選がどうなろうと言わなければならないんである。人々に本当の事を伝えるという事があまりにもできてない。情報がきちんと伝えられなければ皆正しい判断をすることはできないわけだ。本当に我慢できないが、またしても受け入れがたい選挙結果になってしまった。

何を目指しているのだ

新年になってもう10日も過ぎてしまった。いつも通り年賀状のやり取りがあったり、新年になってからあった人たちとは「あけましておめでとうございます」とかって挨拶をしたのだが、なかなかおめでたいという気持ちにはなれなくて、これからどうなっていくんだろうという心配の方が大きい。
それもこれも今の政府のやり方というものにどうにも我慢がならないからだ。何もかも一般国民にはそれとわからないように取り繕ったり美言でごまかしたりするのだが、戦前回帰を目指しているのだとしか思えないことばっかりやっているからだ。そして、何でか全く分からないがマスコミはそれを応援している。そういう風にすることでいったいどういう利益があるというのだろう。恐らくその利益というのは一般国民にとって利益となることではなく、彼ら日本を仕切っていると信じている者たちにとっての利益なんだろうが、それはいったい何なのか。

お掃除って

特に悩んでいたりして大きな問題がある時など、小さな事でいいから今できることを一生懸命やっていると何となく道が開けてきたりする、という様な感じの言葉がある。今は個人的な悩みとかはあんまりないんだけども、できそうな小さな事を見つけてそれなりに一生懸命やっていくことは良い事なんだろう。
だけど何ができるのかな。掃除かな。引き出しの片づけかな。

掃除は、確かにやってみると意外に気持がさっぱりしたりするし、周りもきれいになるし、良いことが多いのかも。いつも散らかってる所は何で散らかるのか、どうすれば散らかりにくくなるのか、自分の家のことなんだからよく考えればいい知恵が出て本当にすごく使いやすくてきれいで掃除もそんなに手間取らなくてすむ、なんてことができるのかも。

考えてみれば掃除・片付けは買い物に行ったりするのとは行動のベクトルが逆の様な気がする。作ったり買い物に行ったりするのは何となくわくわくというかおもしろい感じがあるのに対して、掃除とかをするのはわくわく感ではないからね。でも、掃除したらスッキリして気持も落ち着く。次のための準備という感じもある。
どっちかというとわくわくする方が好きだけど、スッキリと気持が落ち着くようにもしたい。
自分の本当に身近なもの、やれるのは自分自身。やってみよう。

年末だが

年賀状はもう出してしまったけど、今年は新年おめでとうとかって書くのがなんか嫌だったなあ。来年も良い年になりますように、とかっていうのが今までの決まり文句だったのだが、今年は良い年ではなかったから来年もとかって書く気にはならないし、年が新たになったという事で希望が増えるわけでもないし。
いつもの年通りにいろいろなことをやるというのに意味があるのかなあ、なんて思ってしまったりfするが、それでも時間が前に進んでいくという事だけは変わらない。

今の日本の状態って、前に日本がやった戦争とその結果とその後の日本の歴史っていうのをちゃんと知らないというのが大きく関係しているんだと思うけど、そんなことはないだろうか。前は身近な人からも戦争の時の話とか聞いたのに今ではそれも難しくなってるのかもしれない。
しかし、戦争をするのは避けねばらなない。それは日本の国益ではない。

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