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疑問の勉強

興味と関心を持ったこと、どんなことでも調べてみる、または書いておくための自分用のブログ

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プリオン説 読んだ

朝から読んで途中昼寝をしたが読み終えた。福岡伸一さん、やっぱり文章がうまく、一気に読めた。 狂牛病プリオン説というのはまだ本当に確定した説とは言えないらしい。最後の方でこの人たち、本当の病原体を見つけたのかなあと思ったのだが、そう簡単にはいかないらしい。難しくはあったがおもしろかった。
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丁寧さということ

この前からの友愛セールなんかでとても痛感したのは自分の料理ではまだまだとても人様に売れるような物になっていないということで、とても悲しい事実である。なんか、立場的に結構上の方というか、先頭に立ってしまっているのに、これではダメなのである。
綺麗に作ること、見た目を良くしていくことも大切なのだ。

記事の更新

今日はプレステから投稿してる。やっぱり文字入力は面倒くさい。ゲームに慣れた若い人ならもっと簡単に行くのだろうが。 今日も夜はぼんやりと過ごしている。本当は本を読もうと思っていたのに、またまたテレビを見てしまった。この頃のテレビはしょうもないのが多いなあと思っているにも関わらず毎晩こんな風になってしまうのは残念な事だ。

皆がもっと広い立場に立てば良いのに

家計簿をつけるのはやっぱりそれほど好きな作業ではない。つけることで自分の生き方を見直すためにはどんなものを買ったのかを厳しく見直してみることが必要なのだが、見てもそんなに生活が変わるわけではないような気もする。結局、自分自身で描いた自分の生活、あるいは社会に対するお金の使い方、というものを実行できているかを見ることになるわけなんだけども、その場合は自分自身のしっかりした考えが最初になければならないのである。
大体、家計簿なんかをつけるということは、節約、やりくり、お金を貯める、そういうことなんであって、ちまちまと自分の家庭の中の経済だけにとどまっている感がある。そこから社会全体を見るというのはなかなかできない技だ。自分ちのお金が貯まればよいということになるから。ということは、生活がギリギリだったら家計簿なんかもつけて工夫した暮らしをするけど、お金に余裕があったらそんなことをしなくても良い、ということになるのである。そうではなくてこのくらいあれば十分暮らせるから余った分は社会を良くして行くほうに使おうとか、皆が思えばいいのだ。
税金なんかの使い道についても、そういう考えではっきりと皆の暮らしを良くするという方向に向けられたらいいのに。何で日本の政治はそういう風になかなかならないのかなあ。

勉強進まず

パソコンを開かなければ書くこともない。でも開いてもインターネットの関係ないページをあちこちサーフィンしてしまうという状態からなかなか脱却できない。あ~あ。パソコン開かないと何だか大事なことをやってないという感じなのよね。

ガッテニョのオグデン

ガッテニョが学習についてオグデンという考え方を書いていたのを思い出した。何かを記憶する、身につけると言うことに対して人間はオグデンを払うというのである。オグデンは学習単位だ。
この考え方でどんなことが生まれてくるのだろう。
一つのことを覚えるのに一つのオグデンだっけ?
忘れてしまった。あることを身につけるのにどれだけのオグデンを必要とするか、それが学習の難易度を表すものであるともいえるかも。

何のためか

私には家計簿を毎日つけてそれが自分の生活に非常に良かったということが良くわからないのだけれど、良いところは確かに必要なものは計画しておけばそろえられるということだ。それに、どのくらいのお金を使えば生活していけるかということもわかるわけだし。とはいえ、本当にやりたいことは家計のことだけではない。しかし、一般社会的に見て、利己的な金儲けに走っていることが非常に多い中、何が本当に自分に必要なのか、必要以上のものを欲しがることが毎日の生活の中でどうなのか、そういうことを考える中、社会に対する自分自身の責任というか、果たすべきことを考えてみると、お金の問題はつつましい人間の中にも大きな事柄として現れてくるのである。

家計簿の目的再考

11日から13日まで嵐山で夏季研究会に参加した。ほとんどすべてが家計のことに関連していた。
普通に考えれば家計簿というのは家計をやり繰りして貯金できるようにするのが目的だろうと思うもんだろう。しかし、この家計簿の場合はそんなことは超越しているような気がする。家計簿をつけて自分の家の貯金を増やしたとしても、それが一家の暮らしを滞りなく続けていく以上のものであれば、この家計簿の目的とはずれているということになると思う。だって、わが家だけを良くする、というのではなく、社会全体の向上というものを大きな目的にしているのだから。理想とする暮らしは、貧乏でもなく、かといって贅沢をするわけでもなく、中庸を取ったものなのだろう。収入が少なめであれば暮らしの工夫をして少しずつでも節約して、何とか足らせるようにしてだんだんとでも必要なものを揃えて人並みの暮らしができるようにする。そして子どもの教育なんかのこともそれなりに希望がかなえられるようにしてやる。一方、収入が多くてお金がたくさん使える時には自分たちの暮らしが社会から突出しないようにする。贅沢や豪奢な生活をせず、余分なものは何とか社会に還元できる方法を考えよ、というんである。

家計簿をつけるのは暮らしを変えるため、と言うがそこには既に理想とする生活が描かれていて、それはいわゆる裕福な暮らし方とは違うのである。むしろ、大きな家計にはつましくすることを求めている。それに納得することができるかどうか、その方が家計簿それ自体をつけられるかどうかより大きな問題ではないか。

必要なものはきちんと揃えて過不足ない暮らしをしようというのも一つある。その時の物選びの基準をどこに求めるか、それによっても違ってくるんだけども。
今自分の生活の中で感じているのは、わが家に揃えている物はあればいいという程度で上質とは言えないということだが、この辺はどう考えているのだろう。よく考えて適切なものだったら良いと言われるのだろうが、何にでも程度というものがあるのであって、こうなってくると物選びの基準というか、そういうものが問われる事になるんである。家計簿は自分の物選びの基準がこれでいいのかを考え直す手段なのか。

実際的な事

なかなか実際的な事に気がつかないので困ったもんだと思う。よく気がついて先回りしていけたらいいのに何も気がつかないまま過ぎていく。先々何でも気を回すのがいつもいつも良いわけでもないのだけれど、ちょっとぐらいは気をつけないと、と思う。

家計簿をつけて何をみたいか

記録しないよりは記録するほうがいいに決まっているし、家計に締まりがつくというのもよくわかるのだが、一体何が一番の御利益なのか。もっとも訴えられるのはどんな事なのだろう。

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