興味と関心を持ったこと、どんなことでも調べてみる、または書いておくための自分用のブログ
家計簿をつけるのはやっぱりそれほど好きな作業ではない。つけることで自分の生き方を見直すためにはどんなものを買ったのかを厳しく見直してみることが必要なのだが、見てもそんなに生活が変わるわけではないような気もする。結局、自分自身で描いた自分の生活、あるいは社会に対するお金の使い方、というものを実行できているかを見ることになるわけなんだけども、その場合は自分自身のしっかりした考えが最初になければならないのである。
大体、家計簿なんかをつけるということは、節約、やりくり、お金を貯める、そういうことなんであって、ちまちまと自分の家庭の中の経済だけにとどまっている感がある。そこから社会全体を見るというのはなかなかできない技だ。自分ちのお金が貯まればよいということになるから。ということは、生活がギリギリだったら家計簿なんかもつけて工夫した暮らしをするけど、お金に余裕があったらそんなことをしなくても良い、ということになるのである。そうではなくてこのくらいあれば十分暮らせるから余った分は社会を良くして行くほうに使おうとか、皆が思えばいいのだ。
税金なんかの使い道についても、そういう考えではっきりと皆の暮らしを良くするという方向に向けられたらいいのに。何で日本の政治はそういう風になかなかならないのかなあ。
ガッテニョが学習についてオグデンという考え方を書いていたのを思い出した。何かを記憶する、身につけると言うことに対して人間はオグデンを払うというのである。オグデンは学習単位だ。
この考え方でどんなことが生まれてくるのだろう。
一つのことを覚えるのに一つのオグデンだっけ?
忘れてしまった。あることを身につけるのにどれだけのオグデンを必要とするか、それが学習の難易度を表すものであるともいえるかも。
私には家計簿を毎日つけてそれが自分の生活に非常に良かったということが良くわからないのだけれど、良いところは確かに必要なものは計画しておけばそろえられるということだ。それに、どのくらいのお金を使えば生活していけるかということもわかるわけだし。とはいえ、本当にやりたいことは家計のことだけではない。しかし、一般社会的に見て、利己的な金儲けに走っていることが非常に多い中、何が本当に自分に必要なのか、必要以上のものを欲しがることが毎日の生活の中でどうなのか、そういうことを考える中、社会に対する自分自身の責任というか、果たすべきことを考えてみると、お金の問題はつつましい人間の中にも大きな事柄として現れてくるのである。
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