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疑問の勉強

興味と関心を持ったこと、どんなことでも調べてみる、または書いておくための自分用のブログ

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予定の組み入れ方

もうすぐ今年も終わる。年賀ハガキも買ったけど、まだ何にも書いてない。今年は途中から景気も悪くなって社会全体から見たらそんなに良い年ではなかったようだが、来年も良い年でありますように、なんていう文は書けそうもないなあと思う。それでも、自分の生活に何とか目途がついている限りは今のような生活が続くということを仮定して来年の予定も考えていかなければならない。
 家事まで予定の中に入れてしまうというのは割りと新鮮な感じではないでしょうか。自分の中でも、家の中のことというのは私的なことであって、仕事や公のことを書くカレンダーの中に予定として入れていなかったのが、良くなかったのではないかという感じだ。公の予定は大事だからそっちは書くが、私事はどうにでも都合をつけられるというのが今までの感じなのだ。しかし、私事の中にも時期を逃してはいけないことがあり、予定に組み入れないと出来ないこともあるのである。これからはそういうものも全部含めた予定をカレンダーの中に書き入れ、私事も大事にしていこう。
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村上春樹

村上春樹の本を初めて読んだ。とても有名な作家なんだが読んだのは初めて。
短編だったから読みやすかったんだけど、考えてみればとても深い意味をもった話だったようだ。一人では気のつかないことに人と話しているうちに気づいた。

携帯change

携帯からiphoneに変えた。持っていた携帯に不満があったわけではないがパソコンと連動するのがいいかなあなんて思ってしまったのだった。でも何だかいろんなことを設定したりするのは面倒だったりする。携帯のメールアドレスもなかなか移せなかったりしてちょっとがっかり?いろいろアプリが入れたれたりするのはいいのだが。そして、今は何だか変なことが起こった。スイッチを入れても画面が立ち上がらなかった。コンセントにつないだら直ったけど???っていう感じ。もう少し慣れないとだめだな。

家計簿は役に立つのか?

すぐにこの問題に帰ってしまうんで、前向きかつ建設的ではないなあと思うんだけど、家計簿が本当に我が家の家計を照らしているのか、というのには疑問を持ってしまう。自分で立てても予算を守れているとはいえないし、いくらここまでは使える、という目安だ、と言われてもやっぱり予算に縛られているという感じがするし。これだけかかったという記録としてなら役立つかも知れないが、これからどう暮らしたいかを考える時にお金の限界を感じながら暮らさなければならないというのはやっぱり苦痛なんではないだろうか。
こんなこと言ってたら怒られてしまうな。
だけどやっぱり一つのことには両面あるんであって、一つの見方をしたらもう一つ反対の見方のことも考えないといけないと思うのだが。

つけたら、どういう風に使っているわかる。そうすると、使い方がいいかどうかを考えることになる。予算を立てるのはこの使い方なら自分は満足できる、ということを納得することなんであるが、その時少なく使うように、少なく使うように、という圧力がかかってくるのはどうしようもない。だけど私は、ただ単に少なく使う、ということが良いのではなくて、使い方に考え方が反映されてくるんだと思う。例えばこどもの教育なんかとても大切なことであることは疑いようもないが、同じように自分自身の教養を高めていくことは大切なんである。そうするとどうしてもお金がかかる。そこのところをむやみやたらに削ったりすることはできないわけ。
自分の場合だったら、本代なんかがそうで、図書館を利用すればよい、とよく言われるけど図書館にだってそんなに自分の読みたい分野の本がないからいつでも自由に取れる自分の本棚にいれたいと思うんじゃあないか。それは教養というものに対する考え方であって、このくらいであるべき、なんていわれる筋合いのもんではないのだ。
だから、レコーディングダイエットと同じで、それをみて自分自身でこの使い方でよかったのか、と反省し使い方を変えていくんだったら納得できるんだけれども、このくらいが標準、とかって言われてそれにすべき、とかって言うのではないと思う。
役に立つとしたら、この面。
お金を貯めるとかというのが目的ならそんなに必死にならなくても、最初に天引きでもして貯金するようなシステムさえ作っておけば、使えるお金を使って何とかなるのだ。



忙しすぎる時

確かに、忙しすぎる時というのは何にも考えられなくなる。その上、根を詰めてしまうと後に来るぶり返しが恐ろしい。何事も無理せず、日頃から体を鍛えることが他の何より大切だ。そういうことはわかっているはずだが、いざとなるとできないものだ。
今回は何だかわけがわからず、胃腸の調子が悪くなってすっかり体調を崩してしまった。必死で原稿を仕上げたのが原因だった。どういうものが求められているのかが良くわからず闇雲にやってしまって本当にこれで良いのかというのが心配の種というか何というか、いつまでも気になってしまった。
それでやったことは結局良かったのか悪かったのか、その反省は?だけど、これでそれではだめだったんだ、なんて言われたらもう救いようのない感じだなあ。人からなんと言われたとしても自分自身で客観的評価ができるようにしないといけないのである。

お化粧した場合

ほとんどの女性はいつもお化粧してるし、何か、たとえば子供の参観日とかなんかでも化粧しない人なんかほとんどいないわけなんだけど、自分はお化粧は苦手である。つけてからしばらくするとなんか痒いという感じもするし、何時間かたつと目の周りがしょぼしょぼになったという感じがする。
今日もそうである。人前に出るときというのは他の人たちがみんなそれぞれ美しくしているので、少しはやった方がいいのかなあと思うのだ。それで今日はやってみたんだけども…。やっぱり目の周りがかゆくなってきた。朝つけて夕方はもう駄目だ。昼過ぎくらいから目がしょぼしょぼしてきたのもこのせいか?
きれいに落としていつもの素顔に化粧水くらいじゃないと一日を乗り切れない。やっぱり顔にいろいろつけるのは自分には合わないのだ。

動かない体

今日一日を考えると、午前中はそれなりに働いたが午後はもうまるっきり体を動かすこともなく、パソコンを開いて画面を見つめていても眠くなるばかり…。毎日の積み重ねで今日があることはわかっていて、パソコンの見過ぎとか運動不足とかそういうのが良くないということはわかるんだけど、やっぱりぼや~っとしているのが一番好きなんだなあと思う。よくコマめに体を動かしてなかなかじっとしていない人、というのもいるんだが、自分はそれとは逆でどっかり腰を下ろしてしまうのだ。それではいけないんだろうなあ。
いろいろ、気を利かせるというのができないのはやっぱり良くないですねえ。

暖房を入れる時期に

寒くなってきて、暖房が必要になってきた。今年は電気使用量が去年よりかなり下がったのだが、これからはまた暖房を入れないといけないからまた電気代がかなりかさむようになるだろう。セントラルヒーティングなんだけど、灯油もそうだが電気がかさむのは毎年痛いことだ。
いろいろ節約方法なんかが紹介されているのだが、自分でやってみて一番効果があったのは、冷蔵庫の買い替え。これは何か節約方法をやったというのではないけどね。メーカーも相当エコを意識しているらしい。
節電するのは自分の性に合っていないと思う。我慢して丁寧にやったりすることが苦手だからだ。でも電気代が減ったのはうれしい。結構大きな数字になるからね。
本当は、あんまり電気や灯油をあんまり使わず生活できたらいいと思うんだけど、寒さに弱くてそういうものがなくなってしまったらどうしようかと思う。この土地では暮らせないな、そうなったら自分は。
エネルギーの新しくて安い生産方法、早く一般化させて欲しいものだ。

苫米地氏の本

「洗脳支配」という本を読んだのだった。
でも、びっくりしない。だって、日本がアメリカのドルをどんどん買ってアメリカ経済を支えてきたということとか、イラクの民主化というのをブッシュがいってたとき、そのモデルになったのは日本だとか言ってるのも聞こえたし、アメリカから見て日本というのは完全にすべてに従う従者、絶対忠誠を誓う下僕のようなもんだと思ったから、この人の言っている事にも驚かない。むしろ、やっぱりそうだったんだなあという感じがする。
経済のことについてももう少し大きな視点から見たシステムというのを考えなければ。
家計簿をつけて我が家の家計を破綻しないように導くというのはもちろん大切なことなんだが、大きなシステムの中で自分たちがどのように扱われているのかをいうのを知らなければ自分たちの生きる道なんかわからないんだと思う。というか、身の丈を知ってそれに合った生活をしなさいといわれるのはもっともらしく清貧な道のようで、馬鹿にされてるんじゃあないかと思えてくる。
体制の中にいてみんなと同じようにすることに安住していてはいけないのだなあと思います。

久しぶり

 このところ毎日忙しかった上に、調子を崩してしまった。そんな時はパソコンを開いても画面を見ているのさえ苦痛になる。体調がいい時でないとやっぱりダメなんだなあとしみじみ感じる。

ちょっと具合が悪い時は食べる物もなんかあんまり欲しくないし、別にどうでも良くなってくる。一人暮らしの人なんかほんと、ちょっとした拍子に食事つくりなんかやる気が亡くなってしまうだろうなあと思ってしまう。こまめにこつこつやる人ってホント、すごいよね。食事つくりなんかやっぱり面倒なことの最たるものだ。いろんな出来合いの物が重宝されるのは当たり前だし、冷凍品も便利に使われるのが当然なのだ。
でも、この頃そういう風に面倒がっていてはいけないんだということがいろんな面から明らかになってきて、材料の確かさ、作った人の顔が見えることの大切さが前よりもずっと実感されてきた。
人間は面倒がらずにいろいろなことをやることが大事なのか。
そうしなければ発見も何もなくなっていくのだなあ。

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