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疑問の勉強

興味と関心を持ったこと、どんなことでも調べてみる、または書いておくための自分用のブログ

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無題

毎日毎日何をしたのやらどんな時間の使い方をしたのやらろくに意識もないまま過ごしていたのでは生きている意味もない。やっぱり何であれ、好きなこと、やりたいことをやって満足して死ななくては。
新聞に出てた読者のつぶやきに驚愕した。93歳の人が何かの手術を受けて、これからは好きなことをする、と書いていたのだった。今までいろいろなことを我慢してやりたいこともできなかったのかなあ。
年齢が何歳であったとしても、好きなことや本当にやりたいと思うことをして生きていくのがいいんじゃないのかな。でも、日常の中の様々なことにかまけてしまって、なかなか思うようにことを進めることができないのがよくある姿なのか。なんにせよ、良いと思ったことや好きなことややりたいことには取り組んでみることが必要なのだ。それをやるのは「今」しかない。いつもいつも今の連続だから。だから、いつかはこれをしてみたい、というのをやめて今そのためにできる第一歩を踏み出すことが必要なんだ。
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睡眠負債

睡眠が足りないと空腹が我慢できないんだって。本当なのかなあ。そのようなことを考えたことがなかった。日本人は睡眠負債が多いという話を聞いたり、日中の活動の効率を上げるのには睡眠をよく取るということが大事なんだそう。
自分のことに返して考えてみれば、いつも睡眠不足気味。もっと寝たいなあと大体いつも思ってきた。寝るのは遅いのに寝られないというのがしばらく続いたり、朝方になってやっと寝られたらもう起きないといけない時間になってしまっていたり。最近割とすぐに寝つけるようになったが、何故か口内炎ができたり風邪をひいてしまったり。よく寝ているはずなのに前より逆に体調が悪くなったりもしているが、今までの負債を取り返すのに時間がかかるのか?
睡眠負債は週末にゆっくり寝るくらいでは解決できないといわれている。少し様子をみつつ、十分な睡眠を確保する生活を続ける方が長期的な健康のためには絶対よいはずなので、早めに寝られるように変えていかなければならないのだろう。

プラスチックフリー

プラスチックフリーに関心のある人は結構多いようなのだが、それって本当にそんなに大事なことなのか、なぜ長い間あんまり問題にもされずに来たのに、今になって(といってももう1年以上前からだが)そんなに大々的に取り上げられるようになってきたのだろうか、と考えてしまう。
大体、今の政権がそれを言っているということが胡散臭い。ほとんど大事だと思うことは知らぬ存ぜぬで押し通しておいて、何でこの問題には積極的に取り組もうとするのか、それがわからんのである。
自分の所属している女性団体でも今熱心にこの問題に取り組もうとしていて自分たちもプラごみの量を量ったりとかしているのだが、今の消費生活の中では自分たちの取れる手段というのはとてもたかが知れている。レジ袋をもらわなかったとしても、生産者から直接買うのでない限り、プラごみを排除するということはできないと思う。ゴミの量を量ってもその日の中でレジ袋1枚や2枚なんか、ほとんどゴミ量に関係ない。他の食品パックとかトレーとか、ペットボトルとか、そういうものの方がずっと多いし、重たい。プラのカップに入った飲み物についているストローだけを問題にしたってしょうがないではないか。何でストローだけ自分のを持って歩く必要があるんだろう。シンボル的な意味があって、そういうことを気にかけている人が増えればプラ全体を減らしていくという方向に向かっていく可能性があるからそうするのだろう。それで問題への関心を人々に示して変えていこうということなんだろうね。まずできるところから、ということだろうけど。
自分はプラごみがいいとは思わないが、いくらそう思っても実際はある程度以上は減らせない。ヨーロッパの国はとても進んでいるらしいけど、物の売り方自体を変えてもらわないといけない、ものすごい大ごとなのだ。

海のマイクロプラスチックがいろんな悪い物質を引きつけて吸着してるって話だけど、その悪い物質自体を何とかする方法はないのかよ、と聞きたいが、そっちの方には話はいきません。

コットンたわし

プラスチックフリーって今まであんまり関心を持ってなかったのだけど、ふと食器洗いのスポンジを変えてみようかと思った。アクリルたわしもよく落ちるので気に入っていたのだが、もしかしてこれでなくてもいいのかも…と。
貰い物で使っていなかった変わり織(?)の綿の布巾で洗っても別に問題ないみたい。そうか、これでいいのか、という感じだった。
更に、タコ糸で編んだコットンたわしというのを雑誌で見て、編んでみたら結構可愛い!
まだ作ったばかりで使ってないけど、ちょっとマイクロプラスチックのことを考えたかなぁという感じがする。タコ糸一巻き30メートルで一個、余ったので花を編んで栞も作ってみた。




しゃべって入力

スマホから投稿するのはあまりやったことがない。しかし、入力などは本当に簡単になった。だって、喋って入力することが難しくなくなったんだもんね。これは絶対に早いと思う。
この頃、政治のことにあまり驚かなくなってしまっている。しかし、慣れてしまってはいけないと思う。ニュースに、明らかにおかしいと思うのがあります。それに、トピックにすること自体を避けている話題がある。あれは一体どうなったのだろうと思っても全然報道がない。報道されている事は個人的な問題に帰着されるようなものが多い。やっぱり1番大きな問題に対してはなかなかみんなが手をつけないんだということがわかる。でも何とかしてほしいと心から願っているのだけれども。

ひさしぶりだ

あー、本当に久しぶり。
最近はSNSを使う人の方が多いのかと思ったら、スマホを持たないでパソコンでのみネットなんかを見ている人も結構いるらしい。というか、自分の周りにはそういう人もいます。そういう人には、ブログを更新していくというのは結構大事なことだと思われている。

自分は今まであんまり思わなかったけど、ブログは皆さん収益を得るのに使っているようである。ブログって一体どういう意味を持つものなんだろうね。収益を得るということは、何か品物を宣伝して、売り上げを出すということなんでしょう。
やっぱりお金になることをするのが良いもんね。
そしてなおかつ、他の人の役に立てば良いわけなのである。

人の役にも立ち、自分の役にも立つということが大事なんだね。

日記がわり

今日の朝日新聞には森友事件のことが結構大きく出てたんだけど、この事件大体のことはわかっているのに、曖昧に終わらされてしまっていて全く納得いかない。
この事件に限らず、あらゆることで大きな不正は罰せられないということばかり。こんなのでいいわけないじゃないか、いつでもそう思っているのだ。

感情的になるなと言われても

身の回りのことで色々嫌なこととか心配事があると、やっぱりそれが気になって他のことにはあまり気が回らなくなる。どうやら自分は時々異常に感情的になってしまうようなのだが、自分自身それを意識できていない時もある。ちょっと語気を強めて発言したら感情的と言われるのって何だかなあ…。わかってもらいたいと思って言ったのがそんなに強い反応を引き起こすとは、あ〜あ、っていう感じである。
感情というのは厄介なもんだ。自分自身が気づいた時にはもうそうなってしまっているのであって、その感情を起こさないようにしようというのは無理な話だ。必要なのはその感情をむやみやたらに表に出さないということなのだろうか。それもなかなか難しい。できるだけ、表に出さないように隠すということ以外に対処の仕方がないものなのかなあ。
そんなに思ってないと思うのに表現の仕方とか、そういうもので判断されるということが多々あるが、一度出してしまったものを元に戻せない。後悔先に立たず、ということになるのである。まあ、気を取り直し、前のことは忘れて平穏な気持ちを取り戻して平気な顔をしてやっていくしかないのか。

自分の問題として捉えよ そうすればすぐわかる

どうでもいいや、と思ってはいけない。こんな時代が長く続くもんか。日本には戦争に突入していき、負けてもう戦争はいいや、と皆が思った歴史があるんだ。いくら何でも2代や3代でそんな過去を忘れることなんかできるわけがないではないか。今の時代を牛耳っている人々にとっては自虐的と映っているのかもしれないが、実際に兵隊になって戦ったのは国民であり、多くの人がその過去を知っているはずなのだ。自分の身内にどんなことが起きたか知るだけでいいんだ。騙されるなよ、皆。どうせいつでも口だけで綺麗な言葉を並べているのだから、実がこもっていないということはすぐさまわかる。

蓄電池

北海道のblack outはとても衝撃的だった。もしかしたら電気が来なくなることがあるかもしれないとかすかに思ってはいたが、いざとなった時十分対応できるだけの準備ができていたかと言えば、そうではない。一応我が家には太陽光発電のソーラーパネルが屋根の上に乗っている。今回の地震、最初の日は天気が良くて十分に発電していた。今までで初めてだったから停電後に自立運転をさせるのも初めてだったが、それは簡単にできた。そうなっても1500ワットのコンセントを一つ使えるだけだったが、スマホの充電とかだから十分だった。Wi-Fiが切れている事に気付いてそっちの方もつなぎ、ネット環境を整えることができたのは良かった。しかし、長いコードをもってないから近くに持っていける小型の物は良いとして、冷蔵庫や洗濯機は無理だろうと思った。
 太陽光発電をやっている人にも蓄電池をつけている人とつけていない人がいると思うが、蓄電池を持っている人は今回全く何も問題なく普段と同じように過ごせたと言っていた。もし、みんながそういう風にしていれば地震でひどい被害にあっていないところなら、みんな問題なく過ごせたということになるだろう。我が家にソーラーパネルを乗せようと思った時、建設会社の人は屋根が傷みやすいとか言ってすごく渋っていたのだが、載せておいたのはよかった。しかし、その時はまだ蓄電池はあまり進んでいなかったのだ。この数年の間にかなり技術は進歩したのではないだろうか。うちの場合はソーラーの発電量が少ないけれども、それでも蓄電して自分の家で作った電気を使いたい。電気自動車を蓄電池として活用するというのももうすでに行われている。そういうのを上手に使えば家庭で使うエネルギーはほぼ賄えるというのが本当のところなんではないのか。
 電力会社が発電所を大きく大きくしていき、原発を今も進めようとしているのは一般家庭からすればベクトルの違った方向への導きだ。原発の危険性をやっぱり正直に認めることが大切なんだと思うけど。大きな発電所に何かあったら全てが止まってしまうというのは、やっぱりよくない方法のように思える。

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