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疑問の勉強

興味と関心を持ったこと、どんなことでも調べてみる、または書いておくための自分用のブログ

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キーボード

パソコンの使い勝手というのは見た目ではないですねえ。新しく買ったパソコンのキーボードは何だかとっても使いにくくて、手首が疲れる。ノートパソコンのキーボードの方がはるかに入力しやすいのは結構誤算だったかも。少し文字を打ち込むともう手首が痛くなってくるというのは結構ストレスですねえ。そんなの使う前にはなかなか分からない事だと思う。
ちょっとの角度の違いで結構使い勝手に違いが出る、そういうもんだなあと思う。
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真実が大事

真実をみんなに知らせるというのは非常に難しいことである。物事はいろんな面があるし、それを知るというのは立場の違いなんかがあったらとてもできないことだから。
 今の状況は本当にわけのわからないやり方で乗り切られようとしていて、一方的に与えられるものばかりを見ていては何が問題なのかが分からなくなってしまうような状況にある。今はやっぱり普通の庶民としては、原発の問題が一番のはずだ。それがいろんな毎年恒例の行事やらスポーツやら、イベントやら、そんなものに押しつぶされ、更に領土問題なんて言う外交の事が出てきて愛国心を燃え立たせる。
 どれも大変なことだし一つ一つに物語があってそれなりの事が言えるわけだが、それでも今忘れてならないのは我々が核の脅威のすぐそばにいるということだ。これをしっかり考えれば、本当に震え上がる。だって、福島第一は収束していないしそのほかの原発関連の施設だって何が起きるかわからないわけなんだから。電気を起こすのに原発でなければならないということはないはずなのに、今までの資産が大事だからって。そんなのお金のためだけにはそうかもしれないが、到底納得できる理屈ではない。日本を動かす立場の人にそのことをしっかり考えてもらいたいものだ。

何で当たり前の事ができないのだろう

一体何が正しい理解なのか、立場によってすごく異なるというのが最近良く解ってきて、何だか眩暈がする。しかしどういうことがあっても“命あってのものだね”というのが一番大事なことなんじゃないでしょうか。結局、放射能の害をどのくらいと考えるかが原発をこのまま続けたい人達と即止めて欲しいという人達との間の差になっているんだと思う。続けていきたいという人達は自分たちも被害を受けるにも関わらず、それは大したことはないと言っているわけで、そうでなければ自分の健康よりも電気の方が大事だなどというはずがないんである。もう年だからいつ起きるかわからない健康の問題よりお金の方が大事だということなんだろうが、本当に自分の事しか考えていない。お金のために大事な事が何かが全くわかっていないということなんだ。
一回大事故が起こった以上、今までと同じ体制で原発を審査して安全ですって言ったって絶対信じられないというのが普通人の感じ方である。何でそこの所がわからないんだろう。体制変えて心底悪かったと思って反省して今までのやり方を変えていくのが本当なんだ。

無題

今、オリンピック中。テレビを止めたから、選手の活躍もあんまり見ていない。調子良さそうな人もいるし、大きく期待されてて思う結果が出せない人もいるし。きっと大変なのだろう。いろんなことで調子が狂うのが人間だしね。

昨日は国会を取り囲む大集会があった。IWJの会員になったこともあり、かなり長時間見てしまった。見方の違う写真なんかがでてくると中にはすごいのもある。これだけの人が集って一生懸命訴えても政治に反映されるということはあまり期待できないのだろうか。 どうなんだろうねー。

しかし、放射能のこととか原発のこととか、知れば知るほどそのまま動かすことはできないだろうと言う気がする。第一、日本の存続がかかっていると言うのにそんなこと一般には知られてないみたいだし。


庶民の希望

原発問題にせよ、オスプレイにせよ、消費増税にせよ、全部止めて欲しいって感じである。民意というのはかなりはっきりと表れているとは思うけど、そんなの全然関係ないんだ、日本を動かしている人達にとっては。なんせ、ミクロの民だしね。
一般庶民としてはこの中では原発を止めるというのだけはともかくやって欲しい。活断層の事なんかが出てきているのに原発無理なのは明らかだ。どんなに強い建物だって活断層が動けば壊れるもんね。
やっぱ自然の力の方が大きい。人間の立てたものにはしなやかさもないし、自然の力には到底及ばない。
今までの原発進めてきた人たちはもうその方向をやめて、廃炉の上手なやり方とか使用済み燃料の処理の仕方を考えるとか、そっちに行けばいい。後片付けはどんな仕事でもとても大切。しっかりやらないと前に進んでいく事ができない。

原発止めるべき

大飯原発再稼働を突破口に、政府や経産省は次々原発を再稼働させたい様子。非常に素早く次々と進めようとしている。でも安全策なんかできてないということは明らかなのにな。何でこういうのが許されてしまうのか、全く理解できない。免震棟はないんだし、津波の防波堤だってこれから作るんだしって、みんなにもうバレバレなのに安全策はとりました、と言ってすましているのってどうかしてる。活断層が原子炉の下を通っているとどんなに言われてももう調べて安全なんだ、という。それを調べていた時の写真まで出してきたらしいけど、それ見たって事実確認できるわけではないし。
こんなに不安材料がいっぱいあるのに責任を持って再稼働ってどういうことだ。しかも責任を持つと言ったのは再稼働させる事だけで、事故には責任持たないんだって後で閣議で決めたって。何があっても責任は持たないということではないですか。大体、そんな事が起きてはいけないのである。素直な、利権を持たない人間が考えればどうしたって動かすの無理、っていう答えが出てくるのに。事故が起きるということを前提にしていないのは福島第一の事故が起きる前の状態と同じである。あんなに大変な事が起きているのに、その状態を変えないまま前と同じ条件で再開っていったいどういうことだ。
あの人たちは放射能の影響を深刻には考えていない。それは何故か。健康に問題がでたとしても立証するのは難しいから原因とは認定されないだろうから、ということか?
今まで住んでいた土地を離れなければならないということだって、とんでもない事だ。自分たちがそうなったらどうするつもりなんだ。先祖代々の大事な土地だし、狭い日本の中で大事な土地を捨てないといけなくなるなんて、悲しくて胸が張り裂けそうになる。そこを考えるだけでも被災者に向かって顔向けすることすらできないと恐れ入るのが本当ではないのか。それなのになんでこんな事が許される?
再稼働の理由の一つに病気で電気器具なんかを使っている人の命が危なくなるかもしれないから停電なんか起こせない、電気必要だからっていうのを言っていたが、そういう人の数は少ないし、あらかじめバッテリーとか予備の電源を用意してあげておくとか病院や介護施設は計画停電のなかに含めないとか、そういうことは一杯できるはず。そんなの理由にするな。大体、ついこの前まで原発なしでもやっていけてた。原発再稼働ですぐ火力を停止したとかもニュースになり、言ってる事の整合性がない。
原発はもう進めていくというのは不可能ではないかな。これだけ問題がおおきくクローズアップされ、健康被害はこれからだんだん明らかになっていくだろうし、、何代も先の人達への遺伝子への悪影響だって考えられる。精神論で乗り切れるような問題ではないわけだ。
適当な机上の空論で再稼働とか炉の延長とかを言うのに騙されないようにしよう。ともかく反対を言い続けていかなくてはならないんだな。

原発再稼働決定でわかったこと

実際には安全対策が出来ていないということは大勢の人が指摘している通り、なのにそういう明らかに出来ていないと思われる事も出来ていると言い張って既に決定していた再稼働に向かう。どんな事があったとしても既に決定している事は変えられない、その方向で進めるのだ。
その背後には経済というものが非常に大きい。ただ、考える時に地元の意向とかというのがあるがそれは実際には違っていたとしても決められた方向を変える事はできないのだろう。地元の経済というよりは、大企業大銀行なんかの意向なんだろうなあ。
その一方で原子力発電の危険性というのはもうあまりにも明白になっている。しかし事実として出てきている物に対してはできる限り無視する、それが出来ないものは矮小化する。だから本当の所はどうなんだろうということがあまりはっきりわからない。そして今までやってきたという実績がある。福島第一では事故が起きたが、自分の所は多分大丈夫だろうと思うのである。
大企業とか国とかは事故が起きた場合の被害の大きさとかその深刻さとかを知っているくせに、当事者になる事は多分ないだろうとかというタカをくくっている。それが本当に悪かったのに。
日本が本当に地震国、火山国、そして津波にあってきた国であるということをしみれば原発なんか早く止めてくれというのが心底の叫びなんだが、どうしてそういうのを考えないのか、全く理解に苦しむ。
今回の場合だったら地元は少なくとも大事故が起きた場合の対処の仕方を完全に(今のところ考えられる最大という意味)考えて電気会社には設備をお金がかかってからやってもらうのがどう考えても当然のことである。早く動かしたいばかりのいい加減な対策でいいもんか。それが去年の事故でわかった事ではないか。何で考えないのかなあ、全く理解できない。

原発には反対

市民は50ベクレルで大丈夫とか10ベクレルで大丈夫とか絶対言わないようにして下さい、って矢ケ崎先生は言っている。その一方で放射能の影響は実は非常に少ないと言っている学者もいて、何が本当何だか素人にはわからないのである。
とはいえ、今となっては安全安全と言っている人達のことはとても信じられない、と思うのが一般人だ。放射線の影響は確率的な物だから、病気になったからと言って原因を特定しにくいだろうし、何とかごまかせると思っているのだろう。
一般人としては一番気になるのはやっぱり食べ物だね、今は。しかし具体的にベクレルとかを知る術を持たないというか、すぐその場で計るわけにもいかないし、売り場にあるのは多分今の時点での規制値をクリアしているのだろうと思うほかない。
こういう状態で健康問題というものを常に突きつけられて暮らしているのが今の日本人の状況なんだけど、それでも原発再稼働しようとしている。再稼働はたとえ原発容認だとしても今の時点でこれで大丈夫だといえるものではないのは明らかだ。事故が起きてしまった時の対応だって今までと変わっているところはないわけなんだし、地元の人達しっかりしてくれよ、と祈るしかないような気がする。

無題

昨日読んだ人のブログに昨年の原発事故のあと、今までどおりのジャンルの本に興味というか関心が少なくなって、原発事故関連のものばかり読んでいる、ということが書いてあった。やっぱりそうなんだよね、と思った。ガーンと頭を叩かれたような感じで、無邪気に前と同じものを楽しんでいるわけにはいかないのだ。原発のことはそんなにいいもんだとは思ってなかったけど、それでもものすご〜く厳重に管理されてて絶対安全をいうんだから相当に厳密な体制が取られているのだろうと思っていたのだ。しかし、現実に大変なことが起こってしまい、やはり原子力というものは人間の制御の範囲を超えるものなのだということが私たちにもわかった。福島の事故を巡ってのいろいろなことがわかってくるにつれ、体制としての不備な点なんかもだんだんとわかってきているのだ。そう簡単に今の止まっている原発の再稼働なんかされてたまるか、という気がする。

大きな地震がきたら天井から吊り下げられている配管なんかどこかは壊れてしまうだろう。地震や津波の他にも制御できなくなる原因がいろいろあるだろう。どんなに考えてどんなに完全な手当をしたと思っても何か思いがけないことは起こるに違いない。一番の問題は、普通の事故なら放射能のことなんか考える必要もないけど、原発の事故は一度おきてしまったら取り返しがつかないということだろう。環境にも体にも取り返しのつかないダメージを与える。それは明らかになっている。地元の人たちはよく綺麗事でかたづけてもらっては困ると言ってるけど、命の方がお金よりも大切なのだ。お金の問題にしてとんでもないことをやらせ続けようとしている方が問題なんであって、もっと違う地元のための仕事を作り出さなければならないのに。本当は立地条件を考えたら農業や漁業なんだろうな。福島の事故で実際に一番困っているのがそういう仕事をしていた人たちだというのは辛いんだが。

今回の大飯原発の住民の説明会というのをYouTubeでみたけど、いろんな対策をこれから取るからいいとか言ったり、免震棟をたてる必要はないといったり、もし事故が起きた時の対応の取り方とかも不十分だし、福島の事故から学んだことが生かされてはいない、というのは明らかなのである。こんなんでやっていいはずがない。保安院の人たちは事故調でなんにもまともに答えらえないのに地元に行って大きな顔で説明する。まともな反省ができていないからだ。何で大事故を起こしたことに対する真摯な反省がないのだ。あまりに問題が大きすぎて一人一人の責任のとりようがないからか?
ともかく、このままでは全く納得できない。今までのを全部見直さないといけないのに、同じやり方でやっているのが許せない。放射能の影響というものをちゃんと理解してない人が多いのも情けなくて腹が立つ。
そんなこんなで、今まで面白かったものも面白くない。自分たちの未来が文字通り真っ暗なのに気づかぬふり、或いは無関心、それでいいはずがない。

やる気喪失

原発事故が本当には収束してなくてまだまだ大変であり、4号機やら2号機やらとんでもない事が起こってもおかしくないらしいというのを聞くと、何か今まで一生懸命とても価値のある物だと思ってきた物にあんまり価値を感じられなくなってしまった。ほとんどのものはどうでもいいという感じ。明るい希望なんか何にもないのだが、何で皆平静にしていられるんだろう。

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